矢矧祭(小笠神社)

【祭礼日】11月3日
【場 所】小笠神社(掛川市入山瀬(イリヤマセ)852)

【日 程】9:00~10:00(稚児舞=神楽殿)、10:00(神事=小笠神社)、11:00(渡御)、11:20(矢奉納・神事・稚児舞=多聞神社)、11:40(還御)、12:00~12:30(稚児舞=神楽殿)

大宝元年(701年)、文武天皇の皇后(藤原宮子)が懐妊した時、紀州熊野大社ヘ詣で「安産にて皇子誕生すれば東に三つのお社を建て日夜敬います」と神前に誓われ、皇子(後の聖武天皇)誕生の願いが成就したので、熊野本宮大社を横須賀(現三熊野神社)の地に、熊野那智大社を小笠山(現小笠神社)の地に、熊野速玉大社を高松(現高松神社)の地に勧請したといわれます。

小笠神社は、掛川市の三熊野神社・御前崎市の高松神社とともに「遠州の熊野三山」の一つとされている由緒ある神社です。

小笠神社の「矢矧祭(ヤハギサイ)」は、『約700年前、南北朝時代の武将である高師直(コウノモロナオ)の輩下、県(アガタ)一族が小笠神社に集まり、再起を確かめ合う密議を行いその警戒の為、弓矢を一統の6人が当たって作っていた「矢矧神事」が始まり』といわれます。(国土交通省河川局資料より)

9時過ぎ、小笠神社に着くと神楽殿で1組2人の稚児が1組ずつで祈願者の求めに応じ稚児舞を奉納していました。稚児は、紫の大袖・緋の袴・黄の帯姿に金冠を被り、1人は右手に鈴を左手に紙垂(シデ)の付いた扇を持ち、他の1人は右手に太刀を左手に紙垂の付いた扇を持って、前・横・後ろ・前の順で向きを変えて舞います。

祓所(ハラエド)で神事参列者がお祓いをした後、本殿で神事が行われこの中で4人がそろって舞う稚児舞も奉納されます。神事が長引いたので近くを散策している間に、桑の木で作った弓で大矢8本を宮司が射て、参拝者がこれを取り合う行事が行われたようで、本日のメイン行事の一つを見逃しました。

本殿での神事が終わると参拝者に中矢が1本ずつ渡され、紙垂の付いた榊の枝を持った宮司・白の狩衣(カリギヌ)姿に天狗面の猿田彦2人・神輿・大太鼓・稚児・笛吹き・中矢を持つ大勢の参拝者の順で多聞神社に向かいます。神輿は紅白の布で包まれた樽形で、造花の付いた竹ヒゴ約20本で飾られた珍しいものです。

細い山道を10分ほど歩き多聞神社に着くと、参拝者は手に持つ中矢を神社の手前にある斜面に突き挿し奉納します。全部で50本余もあります。

鳥居横に多聞神社の由緒を書いた看板がありました。『徳川時代の初めに朝羽村の芝の川村平馬の子、小太夫(コダイフ)は笛を吹くことが上手で、十五の時に小笠山に登ったままわからなくなった。心配した母に夢で小笠山の多聞天となると告げた。病人があると夢で、薬を教えききめがあるので、ここにまつったといわれる』

鳥居の奥に多聞神社の祠があり、先端に紙垂を付けた青竹を持つ猿田彦が祠の両脇に立ち警護し神事が行われ、祠の前で稚児4人が稚児舞を奉納します。行事が終わると皆さんそろって小笠神社に戻り、神楽殿で再び祈願者の求めに応じて稚児舞が奉納されます。この後、氏子の方には小矢が授与されるようです。

 

稚児舞(神楽殿)                           祓所でお祓い

 

多聞神社へ渡御

 

    多聞神社へ渡御                       多聞神社に矢を奉納する

 

多聞神社に矢を奉納する                       稚児舞(多聞神社)

祭りの栞(トップ)

 

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