森の祭り(三島神社)

【祭礼日】11月第一金~日曜日
【場 所】三島神社(周智郡森町森363-2)

【日 程】金曜日12:00(祭典開始宣言式・屋台の清祓い・新氏子奉告祭=三島神社)、土曜日10:00(例大祭=三島神社)、13:40(神輿渡御出発=三島神社)、15:10(神輿到着=金守神社)、日曜日13:00(神輿還御出発=金守神社)、14:20(神輿還御=三島神社)、16:40(舞児還し祭式=三島神社)、18:00(舞児還し出発=三島神社から各町内へ)

「森の祭り」は、三嶋神社にその年の豊作の御礼と来年の五穀豊穣を祈願する神事として始まり、江戸時代中期頃から屋台の曳き回しが行われるようになったとされています。

文久3年(1863年)には、この祭礼当日に秋葉山の「御荷物行列」が森町を通過する際、御荷物行列に屋台を壊された「下宿」と御荷物行列を下宿の屋台方向に向かわせた「本町」との間で大騒動が起き、「文久の大喧嘩」として江戸にまで知れ渡り、これにより三島神社の祭りは明治初期まで中止されることになったそうです。

再開された後も、森の祭りは激しい「喧嘩祭り」として知られ暴力沙汰が絶えなかったところ、昭和49年(1974年)に「絶対無事故で祭典を行う」ことを宣言しこれが守られ今日に至っています。

森の祭りは、かつては旧森町村の三島神社と金守(カナモリ)神社の氏子町だけの祭礼でしたが、明治から昭和に至るまでの間の町村合併などにより14町に拡大され、稲荷社(旧戸綿(トワタ)村)・谷本神社(旧城下(シロシタ)村)・天方(アマガタ)神社(旧向天方(ムカイアマガタ)村)と合同で祭典が行われるようになっています。このため、金曜日から日曜日にかけてそれぞれの神社で祭式(本祭)が行われています。

今回は祭礼三日目の神輿還御と「舞児還し(マイコカエシ)」を見学しました。

【神輿還御】昨日、三島神社から御旅所となる金守神社へ渡御した神輿が三島神社へ還御します。

還御行列は、警護役・天狗・大太鼓・獅子・榊台・神社旗・伶人(レイジン)5人・稚児(男女児20数人)・神輿・神職・巫女3人・四神旗・舞児(マイコ)などの順で進み、この後ろに14台の屋台が続きます。屋台の巡行順番は予め決められています。

【舞 児】舞児は、緑の千早(チハヤ)・緋袴姿に天冠を被り「乙女の舞」を舞う女児4人、白の千早・緋袴姿に前天冠を被り「浦安の舞」を舞う女児7人、この他に、小袖姿に錦の陣羽織を着け侍烏帽子(サムライエボシ)を被り「朝日の舞」を舞う男児3人の合計14人がいます。

舞児は14の町から女児が1人ずつ選ばれていましたが、女児の人数が足りなくなってきたので、平成12年(2000年)から、朝日の舞は男児が行うことになったそうです。

舞児は、三島神社での例大祭(昨日)・金守神社での御旅所祭(昨日)・三島神社での「終祭」と「舞児還し式」の合計4回、神前で舞を奉納するそうですが、残念ながら見学できませんでした。

【屋 台】遠州独特の漆塗り二輪屋台で、本体の骨組みは本柱4本と中屋台柱4本で構成され、本体の前・後部は御簾(ミス)で左右は障子で囲われ、本体前・後部の御簾の前には欄間があり、屋根部には高欄で囲まれた「浜床」が設けられ飾り人形が置かれています。

屋台に付き添うのは、黒の鯉口シャツ・股引姿に各町揃いの長半纏を着ける若衆20~30人で、屋台が進むときには、屋台の前部に突き出ている手木と呼ばれる2本の角棒を使って屋台を大きく左右に振り続けるので見ているだけで目が回りそうです。大太鼓・笛・鉦の囃子方は後ろの欄間に乗って囃します。

還御行列は神社前にある急勾配の「男坂」の下から右に回り「乙女坂」を通って神社本殿に入り、終祭と舞児還し式の神事を行います。屋台は男坂下から左折し町内を巡行します。

男坂は、3年間の改築工事を終え一昨日神社で「男坂石段竣工祭」が行われ、今日の舞児還し開始時刻に合わせて18時から「杮落(コケラオトシ)行事」が行われるので通行止めになっています。

改築工事で30段余ある各石段の高さ20cmは変わらないのですが、踏み面が25cmから37cmになったので以前より緩やかな石段になるそうです。

【舞児還し】舞児還しは、3日間氏神様に仕えた舞児を各町内の屋台正面の欄間に乗せて自宅(公民館)まで送り届けるという珍しい行事です。

本殿で舞児還し式が行われた後、順番に従って各屋台の社長などが舞児を肩に乗せて、今年は男坂を通らず乙女坂を下りて屋台に向かいます。

舞児還しは、昭和29年(1954年)までは男坂石段を通って行われていましたが、勾配が急で危険とされ、以後は乙女坂を通るようになりそれも今年が最後で、来年からは男坂を通って屋台に向かうそうです。

乙女坂で待っていると、弓張提灯を掲げた若衆に囲まれ社長らの肩に乗る舞児の集団が続々とやってきます。舞児はそのまま屋台に移されると正面欄間に立ち、支輪(シリン)の飾りから延びる2本の布に両手を伸ばして掴み屋台の揺れに備えます。

舞児を乗せた屋台が練った後、各町の公民館に着くと公民館で「帰宅式」が行われることを知らずに、30分ほど屋台の練りを見学してから遠州森駅に向かいました。最終電車までには充分余裕があったのに残念でした。これが本当の後の祭りです。

 

獅 子                                 稚 児

 

稚 児                                神 輿

 

乙女の舞の舞児                            浦安の舞の舞児

 

        屋台(鳳雲社)                    屋台(桑水社)

 

屋台(北街社)                   杮落行事前の男坂    

 

屋台へ向かう谷本社の舞児                  屋台へ向かう籐雲社の舞児

 

桑水社の屋台と舞児                        籐雲社の屋台と舞児

祭りの栞(トップ)

 

inserted by FC2 system