富戸の鹿島踊り(三島神社)

【祭礼日】10月28~29日
【場 所】三島神社(伊東市富戸686)

【日 程】28日[宵宮]18:00(神楽・下方・万灯=神社)、20:00(鹿島踊り=富戸コミニュティセンター)、20:20(下方・神楽=神社)、29日[本祭]6:30(神楽=神社)、8:00(神事・下方・万灯・神楽・鹿島踊り=神社)、11:00(神輿お下り)、11:30(神事・神楽・鹿島踊り=龍宮神社)、12:30(鹿島踊り=神社)、13:00(鹿島踊り=富戸コミニュティセンター)、18:30(子供ビンゴ大会など=神社)

「鹿島踊り」は、茨城県鹿島神宮の神人による疫神送り(悪霊祓い)がその起源といわれ、千葉県、及び神奈川県西部から静岡県伊豆半島東部の沿岸部に伝播しています。富戸(フト)では三島神社の例祭の中で、「下方(しゃぎり)」・「万灯(マンド)」・「神楽」とともに行われます。

前日26~27日、東伊豆町鹿島神社で行われた「北川(ホッカワ)の鹿島踊り」に続いて、28~29日「富戸の鹿島踊り」を見学しました。

宵宮の28日は、三島神社の舞台や境内で神楽・下方・万灯が奉納されます。

【神 楽】笛と締め太鼓の囃子に合わせて、一人立ちの獅子舞で「剣の舞」を、二人立ちの獅子舞で「さがりや」と「くりい」を舞います。くりいでは、二人立ちの2頭の獅子が舞い、白の布を咥えた獅子が五色の紙を口から撒き、また2頭の獅子が布を咥えて引っ張り合ったりします。

【下 方】下方は、黒の着流しや黄・紫の小袖などを着た若者が、締め太鼓4・三味線2・笛7でにぎやかに奏します。

万 灯】四角の木枠に紙を貼り角提灯とし、この上に青と白の花で飾った長さ4~5mの竹ヒゴ10本を付け、角提灯の下には持ち手となる長さ2mほどの角棒が取り付けてあります。若者たちが一人で各棒を持って万灯を落とさないように歩いたり、万灯を回転させたりします。

角提灯の周りには、天下泰平・大漁祈願・商売繁盛・五穀豊穣の祈願文字などを染めた色鮮やかな布が垂らされ、角棒の上部には宝船に乗った七福神が描かれた扇形の絵が飾り付けてあります。

この後、赤・黄・緑・ピンクの花で飾られた子供万灯も出て、大人たちの手助けも得て万灯を持ち上げます。

鹿島踊りは宵宮では奉納されず、富戸コミニュティセンターで普段着姿ながら、本番同様40分かけて最後の練習を行います。一方、神社では下方と神楽が再び奉納されています。

本祭は、早朝から神社で神楽・下方・万灯が奉納され例祭神事も行われます。この後、境内で鹿島踊りが奉納されます。

鹿島踊り】踊り手は、棹先(サオサキ)1人・歌上げ士3人・附歌(ツキウタ)士21人の合計25人で、白衣に白帯を着け白足袋・草履を履き風折烏帽子(カザオレエボシ)を被っています。踊り手の外側四方には、黒紋付袴姿で片手に榊を持つ警護4人が立ちます。

棹先は、右手に扇を左手に黄金の柄杓を持ち、常に踊りの向きの最前列中央に位置し踊り全体を主導しながら踊ります。

歌上げ士は、右手に扇を左手に赤幣を持ち、常に踊りの中央に位置し踊りながら歌の音頭取りをします。

附歌士は、右手に扇を左手に白幣を持ち、歌上げ士を囲み踊りながら力強く歌い上げます。このうち2人の鏡持ちは踊りの外対角線に位置し、右手に扇を左手に日(太陽)と月の鏡幣を持っています。

踊りの隊形は円形・方形(列形)を交互に繰り返し、円形では、附歌士は全員中側に向き、棹先歌上げ士は踊り方向に向きます。方形では、全員踊り方向に向きます。

また、踊りの向きも次々に替わります。最初、本殿の反対向きで、次に本殿に向かって、次に右向きに、次に左向きに踊り、最後は、本殿の反対向きになります。

隊形と踊りの向きがそれぞれ交互に変わるので、棹先は一つの踊りが終わると走って次の位置に立って踊りを主導します。棹先の任務は重要です。

踊りの中央に位置する歌上げ士は、円形では3人が三角形になり、方形では横一列になります。鏡持ちも、隊形と踊りの方向により外対角線の互いの立ち位置を替えます。

黒紋付袴姿の太鼓打ち1人は、本殿側の一角で歌と踊りの拍子に合わせて地面に据え置いた締め太鼓を打ちます。

【神輿のお下り】鹿島踊りの後、神社舞台で神楽が舞われます。次に、本殿から神輿が担ぎ出されます。担ぎ手は鹿島踊りの踊り手のうちの12人です。担ぎ手は声を発しないようにするための白の紙を咥えています。

神輿は境内の鳥居に向かって突進しますが、これを黒紋付袴姿の氏子役員や鹿島踊りの別の踊り手が、神輿の担ぎ棒を前から押さえて神輿が鳥居の外に出ないように止めます。神輿が鳥居を出てしまうとお祭は終わりだと言い伝えられてきた村人が神輿を止め、外の景色を見たいという祭神とのせめぎ合いを表しているのだそうです。

神輿と村人とのせめぎ合いは30分余も続き、神輿の担ぎ手はふらふらになり神輿が鳥居にぶつかったり、境内の露店に突っ込んで店の中を壊したりしますが、露店の店主は一切抗議しません。恒例の行事のようです。

せめぎ合いが終わり渡御(お下り)が始まります。白衣の背に御幣を差し手桶の潮水を振り撒く子供の潮振りを先頭にして、紅白の幟を付けた鉾2本・締め太鼓打ち・笛吹き2人・黒紋付袴や黒の礼服姿で白・金の御幣を持つ氏子役員約20人・神輿などの行列が、200mほど離れた龍宮神社に向かいます。子供を除いて全員口に白の紙を咥えています。

龍宮神社は海のすぐ近くにあり、神社の祠の前に「産衣石(ウブギイシ)」と呼ばれるごつごつした大きな岩があります。斎竹4本と注連縄で囲まれた産衣石の上に神輿を載せて、神事が行われた後、神楽剣の舞と鹿島踊りが奉納されます。ここでは白衣の子供数人も鹿島踊りに加わります。

【産衣石】伊豆の蛭ヶ小島に配流された源頼朝は、頼朝の監視役であった伊東祐親の娘八重姫との間に千鶴丸をもうけました。これを知った祐親は、家来に命じて伊東の八代田の川に千鶴丸の腰に石を付け沈めて殺しました。沈められた千鶴丸の腰の石がとれて、千鶴丸の遺体は川を下り海へ出て富戸の宇根岬に着き、身に着けている着物などから高貴な御子であると思った村人は、この遺体を丁重に扱いこの石の上に安置し着物を乾かして念ごろに葬ったといわれます。

千鶴丸は、三島神社御祭神の事代主命(コトシロヌシノミコト)とともに三島神社の同じ棟に若宮八幡宮の御祭神として祀られています。つまり三島神社の社殿には、二社(右側に三島神社、左側に若宮八幡宮)を別々に祀っていることになります。

龍宮神社での行事が終わると、再び行列を組んで三島神社に還御します。行列の後ろには各町の屋台が続きます。屋台は、払(バライ)・西・東・郷戸・岡・三の原・松尾の7町から1台ずつ出ます。

三島神社に戻ると境内で鹿島踊りが奉納され、その後、富戸コミニュティセンター駐車場でも鹿島踊りが踊られます。

センターでの鹿島踊りが終わると、神社境内で婦人の踊りが行われ、夜には境内で子供ビンゴ大会などが行われます。また、30日夜には「後祭」として神社舞台で下方が奉納され、小学生の下方お披露目も行われるそうです。

富戸の鹿島踊りで歌われる歌詞は、次の通りです。昭和55年(1980年)に制作されたそうです。九番までありますが、八番は四番と同じ、九番は二番と同じ歌詞です。東伊豆町鹿島神社で行われる「北川(ホッカワ)の鹿島踊り」の歌詞とよく似ています。

<鹿島踊り歌>

(口上)千早振 神々の勇みなれば 弥勒(ミロク)踊り芽出度し 

一、此の祭は芽出度祭 神も喜ぶ芽出度祭り 世の中は万却(マンゴ)末代 弥勒御代が七続き 

二、芽出度いぞよ富戸の浦に 弥勒御船が着いたぞよ トモエには伊勢と春日 中は鹿島の大社(オオヤシロ) 

三、天竺は近いな上臈(ジョロ) 踏鞴(タタラ)踏まうと聞こゆる 踏鞴踏まば何と踏む 踏鞴踏鞴と八つを踏む

四、十七が沢に下りて 黄金柄杓で水を汲む 水汲まば袖が濡れする 襷掛けさえ、なあよ姫

五、鹿島では稚子を踊る 護摩堂では護摩を焚く その護摩を何と焚く 日本御祈祷と護摩を焚く 

六、天竺の雲の間で 十三小女郎が米(ヨネ)を蒔く 弥勒続けと米を蒔く 

七、香取は九十九が社 音に聞くさえ、おお尊ふとや いざさらば吾等も参りて 神をそそめて拝みましょう

 

 下方(神社)                            万灯(神社)

 

神楽さがりや(神社)                       子供万灯(神社)

 

神楽くりい(神社)

 

鹿島踊り(神社)

 

神輿お下り

 

   産衣石(龍宮神社)                     神楽剣の舞(龍宮神社)

 

鹿島踊り(龍宮神社)                        屋台(払町) 

 

   鹿島踊り(神社)                        婦人の踊り(神社)

 

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