舞阪の大太鼓祭り(岐佐神社)

【祭礼日】9月14~15日(旧暦)
【場 所】岐佐神社(浜松市西区舞阪町舞阪1973)

【日 程】14日[宵祭り]12:00~19:30(大太鼓・手踊り町内練り)、15日[本祭り]7:00(大太鼓奉納=神社)、7:30(神輿渡御出発・大太鼓随行)、13:30(稲荷山御仮屋に神輿・大太鼓到着)、16:40(神輿還御出発・大太鼓と手踊り随行)、20:40(岐佐神社に神輿還御・大太鼓到着)、23:00(年番渡し=拝殿)

「舞阪の太鼓踊り」は、町内の安全と海上安全・豊漁を祈願して行われ、360年以上の歴史があります。慶安元年(1648年)に記された岐佐(キサ)神社の縁起にこの祭礼のことが初めて記されているそうです。

祭りは現在も旧暦で行われており、祭りに参加する子供たちのため舞阪の小中学校は14日は午後から、15日は全日休みになります。

岐佐神社の祭神は、蚶貝比売命(キサガイヒメノミコト)と蛤貝比売命(ウムガイヒメノミコト)で、祭りはこの二柱の女神が、岐佐神社から1Km余離れた稲荷山に遊びに行き、その日のうちに帰ってくるお旅に大太鼓が随行することを表しています。

二柱の女神は、古事記の「大国主命(オオクニヌシノミコト)の条」で、次のように記されています。

「爾𧏛貝比賣、岐佐宜此集而、蛤貝比賣、待承而、塗母乳汁者、成麗壯夫訓壯夫云袁等古而出遊行」(爾に𧏛(キサ)貝比賣、岐佐宜集めて、蛤貝比賣、待ち承けて、母の乳汁を塗りしかば、麗しき壮夫に成りて、出で遊行びき)

八十神(ヤソガミ)の手により、猪に似た大きな焼き石に巻き込まれ死んでしまった大国主命を、蚶貝比売は赤貝の貝殻を削り粉を集め、蛤貝比売は蛤の汁で溶いた母の乳汁を塗ると、大国主命は麗しき壮夫になって元気になりました、というのです。

大国主命は因幡(イナバ)のウサギを救った後、災難にあったのです。この後、大国主命は再び八十神によって大木の楔(クサビ)に挟まれ死んでしまいますが、御祖命(ミオヤノミコト)により再び蘇生し、須佐之男命(スサノオノミコト)の住む根の国に向かい、須佐之男命の娘・須勢理比売(スセリヒメ)と結婚します・・・と古事記の物語は延々と続きます。

祭りは、仲町・西町・砂町・新町の4町が持ち回りで年番(ネンバン)町を務め、今年は仲町が年番町です。それぞれの町が青年用の大太鼓と少年用の中太鼓各1台を持っています。いずれも大型の締め太鼓です。中太鼓でも太鼓の革の直径が2mもあり、大太鼓は最大2.5mほどもあります。神社の鳥居を潜るためこれ以上は大きくできないようです。

大太鼓の大きさは、明治時代には直径2尺(約60cm)しかなかったのが、大正・昭和の間に4町が競い合ってどんどん大きくし、これまで使っていた大太鼓を少年用に譲っているので中太鼓といえども大きいのだそうです。

祭りに参加する若者の衣装は、白の濃口シャツ・黒の腹掛け・黒の股引姿に紺の半纏を羽織り、黒足袋と草履を履いています。太鼓を叩く時は半纏を脱ぎます。半纏は、一目で違いが判るように各町を表す絵や柄模様が染められています。

14日は午後から大太鼓・中太鼓と婦人子供の「手踊り」が町内を練り、15日は早朝から4町の大太鼓が神社に集まり大太鼓を叩いた後、神輿と大太鼓が稲荷山の御仮屋に向かいます。

14日宵祭りの大太鼓の叩き始め、15日本祭りの神社への大太鼓集合などでは、年番町から各会所へ三度の使いが出て三度目の使いを迎えて初めて行動を起こしたり止めたりします。三度目の使いを務めるのは年番町の仲町です。

三度の使いは、鈴を振る1人と指を立てて使いの回数を示す若者1人の2人1組が一番使いの後、顔ぶれを替えて5分後に二番使い、15分後に三番使いが出ます。三度の使いは、神輿が神社と御仮屋を往復する途中、休憩する「御神輿休所」から出立する際にも出されます。

行事の開始・終了時間などが厳格に決められ実行されているのがこの祭りの特徴の一つで、御仮屋から神輿が出立する際にも、4町の役員が横一列に立ち時計を見ながら出立まであと何分と指を立てて皆に示します。役員の時計は予め秒まで合わせているそうです。

御仮屋から神社に還御する神輿が出立する際、130年前から歌い継がれてきたといわれる「木遣り」が歌われます。木遣りは神輿が移動する際には必ず歌われます。

神輿の先導を務めるのは白の狩衣(カリギヌ)姿に引立烏帽子(ヒキタテエボシ)を被り天狗面を首からぶら下げた猿田彦で、榊の枝で道を祓い清めます。神輿は、白の狩衣姿に引立烏帽子を被る10数人が担ぎます。

神輿には大太鼓4台と中太鼓4台が随行しますが、大太鼓の先導役を務めるのは年番町の仲町です。

大太鼓を叩く「太鼓ぶち」は野球のバットと同じくらいの大きさで長さは1mほどあり、太鼓打ちは予め手の甲に手拭いを巻き付けて、2本の太鼓ぶちを両手に持って笛の囃子に合わせて太鼓を打ちます。太鼓がよく鳴れば鳴るほど神様が喜ぶと言われるので、若者は交替して懸命に打ち続けます。

大太鼓の後ろには、4町の婦人子供による手踊りが続きます。神輿は途中、御神輿休所で休憩した後、神社に還御します。鳥居を潜った後、境内に入るには石段を上るため大勢の若者が綱で引張り、後ろでは梃子棒で押し上げます。

境内に神輿・大太鼓が入ると大太鼓4台は揃って打ち鳴らされ、年番町の指示により23時にピタリと終了します。その後、拝殿で来年の「年番渡し」の儀式が行われます。

 

    稲荷山御仮屋                         大太鼓を打つ(仲町)

 

囃子方(仲町)                             猿田彦 

 

       神 輿                         出立まであと1分の合図

 

随行する大太鼓(新町)                     大太鼓を打つ(仲町)

 

手踊り(新町)

 

 神輿出立の三度の使い                    石段を上る大太鼓(仲町)

 

 

祭りの栞(トップ)

 

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