山随権現祭幡廻し(報本寺)

【祭礼日】8月11日
【場 所】報本寺(下田市加増野(カゾウノ)433-1)

【日 程】13:00(大般若祈祷会)、16:00~16:40(幡廻し)

臨済宗報本寺(ホウホンジ)の「山随(サンズイ)権現祭幡廻し」の由来には諸説あり、一説には、文禄元年(1592)疫病をはやらせた浪人どもを追い払い、疫病にかかった村人たちに薬を与え治した領主の富永三右衛門政重(富永山随軒弾正)に感謝しその霊を祀る行事が、厄除け・五穀豊穣を祈願する祭りになったといわれます。

また別の一説には、慶長11年(1606年)、領主の富永山随軒が家来に誤って弓矢で射殺された後、村に悪病が流行したため人々は祟りとして恐れ灯籠を作り祀ったのが始まりともいわれます。

祭りの前日、報本寺の住職と長老が山随権現が祀られている神社に赴き祭神の山随権現をお迎えし、祭り当日午後から報本寺本堂で「大般若祈祷」が催されます。

報本寺に着いた時には大般若祈祷は終わっていて、本堂前には子供神輿が安置され、10数人の幼児・小学生が記念の集合写真を撮っていました。

時間になると、境内で「幡廻し」が行われます。最初に、幡廻しに参加する禰宜(ネギ)と「八人組」が浴衣姿に懐手をして神社近くの柳生沢川に向かい身を浄めます。この間に若衆3人がそれぞれバケツ2杯を使って境内に大量の水を撒きます。

身を浄めた一行は寺で着替えて、禰宜を先頭にして行列を組んで境内を周回します。禰宜は白の大袖に茶の裃姿で笹竹の束を両手で捧げ持っています、

八人組は虎の模様を染めた白の半着に紺の三尺帯を締め、襷を掛け白の地下足袋を履いています。八人組の先頭は幡頭(ハタガシラ)と呼ばれ榊の葉を咥えています。八人組は虎の模様の半着を着ているので「トラ」と呼ばれています。

禰宜とトラの後ろから「アトヒキ」と呼ばれる16人と太鼓打ち・鉦打ちが一列になって境内を三周します。「アトヒキ」と太鼓・鉦打ちは白の浴衣の両袖をたくし上げて首の後ろで結んでいます。腰には紺の三尺帯を締め白の地下足袋を履いています。

次に、アトヒキの数人が幡を禰宜の前に担ぎ出します。幡は長さ4間(約7.2m)の孟宗竹で、先端に残した葉の間から「山随権現」と書かれた白布を垂らしています。幡の下部1.5mほどは縄が隙間なく巻かれて幡が持ちやすいようになっています。

禰宜の前に担ぎ出された幡を幡頭(ハタガシラ)が一人で持ち上げて3回地面を突くと、トラの一人が「ネモチ」になり幡の根元にしがみつき、残りの七人が幡が倒れないように手で支えます。

アトヒキの16人の先頭の2人が中腰になってネモチの帯を掴んで引っ張り、他のアトヒキが2列になって同じように前の人の帯を引っ張り数珠つなぎになります。アトヒキは幡にしがみつくネモチを幡から引き剥がそうとしてしているように見えます。

態勢が整うと、禰宜が「垣根に住むか キリギリス 焼玉の家の力に 申せはやせ子供ら 榎木に住むは玉虫 申せはやせ子供ら」と呪文を唱えます。これに対しトラとアトヒキが「ホイホイ」と声をかけ幡廻しが始まります。

幡廻しは、幡が倒れないようにしながら境内を1回3周ずつ、3回で合計9周します。1回(3周)ごとに幡を禰宜の前に持って行くと、禰宜は笹竹の束を3回振ります。

境内の地面は大量に撒かれた水で柔らかくなっているので、幡廻しを重ねるにつれグチャグチャになります。トラとアトヒキは泥んこになりながら幡廻しを続けます。幡廻しをするトラとアトヒキの傍らでは、締め太鼓打ち2人と鉦打ち2人が太鼓・鉦を打ち鳴らしながらともに周回します。

幡の先端の葉を地面につけないで9周するとその年は豊作となり疫病も退散するが、一度でも地面につけると凶作となり疫病がはやるといわれています。今年も無事に幡の先を地面につけないで9周し終わりました。

 

         子供神輿                      身を浄めるため柳生沢川に向かう

 

境内に水をまく                           禰宜と八人組

 

幡頭が幡を地面に3回突く               禰宜が呪文を唱える        

 

幡廻し

祭りの栞(トップ)

 

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