こがし祭り(来宮神社)

【祭礼日】7月14~16日
【場 所】来宮神社(熱海市西山町43-1)

【日 程】14日17:00(宵宮祭)、15日9:00~15:00(宮神輿渡御)、10:00(例大祭・神女神楽・浦安の舞・鹿島踊り)、10:40~12:00(奉祝神賑行事)、18:30~21:30(山車コンクール=国道135号)、16日8:30(神幸祭・神女神楽・浦安の舞・鹿島踊り)、9:50~15:40(御神幸行列)、12:05(御鳳輦浜降り神事=熱海サンビーチ)、13:00~14:00(奉祝神賑行事)18:30~21:00(山車コンクール=国道135号)

来宮(キノミヤ)神社の創建は古く、『和銅3年(710年)熱海湾で漁師が網をおろしていたとき網に木の根が掛かる事が三度重なり、不思議に思いあらためると神像のようであったので近くの松の下に祀り、持っていた「麦こがし」を供えた。その夜の夢に「五十猛命(イタケルノミコト)」が現れ、潮騒が耳障りであるとの神託があり現在地に遷し、木の根を神体としたところから「木の宮」と称した』といいます。(来宮神社社伝より)

来宮神社の例大祭は、海から現在地に御木像が祀られた7月15日(旧暦6月15日)に行なわれます。

前日14日の宵宮祭では神事が無事奉仕できるよう祈念し、例大祭当日には宮神輿が渡御し、「奉祝神賑行事」として「神女(ミコ)神楽」・「浦安の舞」・「鹿島踊り」が奉納されます。翌16日には「御鳳輦(ホウレン)」が御神幸し奉祝神賑行事も行われます。

今回は16日の神幸祭を見学しました。朝9時前に神社に着き、本殿での神女神楽・浦安の舞と境内での鹿島踊りを見学します。

神女神楽】神女神楽は、氏子の中から選ばれた1人の幼女が、白の上衣・緋袴に千早を羽織り前天冠を被る巫女装束で、茅草の束を左肩に置いて持ち、太鼓・大鼓(オオツヅミ)・摺鉦(カネスリ)の囃子に合わせて、右手に持つ鈴を振りながら舞います。

祭りの間は神女であるので、移動する時は羽織袴姿の付人2人に抱えられて地面に足が着かないようにしています。祭り最終日の今日、茅草を川に流すと神女から元の幼女に戻るとされています。

【浦安の舞】皇紀2600年(1940年)を祈念して作られた舞で、氏子の中から選ばれた4人の少女が、太鼓・筝(ソウ)の囃子と歌に合わせて扇の舞と鈴の舞を舞います。通常の巫女装束ではなく、十二単姿に緋袴を着け前天冠を被り舞うのが珍しいです。

【鹿島踊り】鹿島踊りは、茨城県鹿島神宮の神人による疫神送り(悪霊祓い)がその起源といわれ、千葉県、及び神奈川県西部から静岡県伊豆半島東部の沿岸部に伝播しています。

踊り手15人は、揃いの白の上衣・袴姿に白の足袋・草履を履いています。踊りは、歌上げ3人の歌に合わせて「マワリ踊り」(円形)と「サオ」(列形)を交互に2回繰り返します。

マワリ踊り・サオとも、締め太鼓を打つ1人と鉦を打つ2人は常に踊り手の真ん中に位置し、黄金柄杓(コガネヒシャク)を持つ1人とお鏡(太陽と月)を持つ2人は常に神前に最も近い場所に位置します。黄金柄杓とお鏡の下には五色の幣(にぎて)が付いています。

そのほかに五色の幣を持つ3人と白の幣を持つ6人がいます。太鼓打ちと鉦打ち以外の踊り手は、左手にそれぞれの採り物を持ち右手に白扇を持ちます。

踊りの中で、黄金柄杓持ちが振る柄杓から沢山の色紙がこぼれ落ちます。この色紙は稲米を表し五穀豊穣・厄払いの意味を持つのだそうです。

【御神幸行列】境内での鹿島踊りが終わると、神社の神々を乗せた御鳳輦(ゴホウレン)の「御神幸行列」が始まります。先頭は、天孫降臨神話で邇邇藝命(ニニギノミコト)の道案内を務めた猿田彦です。

天狗面の猿田彦は、道中で「ウォー」と高い声を出しながら来宮神社創建に因む「麦こがし」を撒き散らします。このことから「こがし祭り」といわれ、これに触れると無病息災・身体健康になると伝えられています。麦こがしは、大麦・裸麦を炒って挽き粉末にしたものです。

御神幸の中心である御鳳輦は、本厄にあたる42才の男性20数人によって担がれます。皆さん白の上衣・袴姿に赤の襷を掛け、烏帽子を被り白の地下足袋を履いています。

御鳳輦の前には雄雌2頭の獅子が付き添い、御鳳輦に鎮まる神を護衛し人々に幸をもたらすといわれています。獅子の胴幕にはそれぞれ紺の半着姿の7~8人が入っています。

鹿島踊りの一行も御神幸行列に加わっていますが、湯前(ユゼン)神社と銀座(和銅3年に御木像を拾ったと伝わる方のご子孫の家の前)では行列から離れて鹿島踊りを奉納します。また熱海駅前での御旅所祭・御神池(渚小公園)での奉祝神賑行事でも鹿島踊りを奉納します。御神池は御木像が流れ着いた浜だそうです。

【御鳳輦の浜降り神事】正午過ぎ、御神幸行列の御鳳輦は担がれて熱海サンビーチの浜から海の中に入ります。この時、獅子2頭と猿田彦も一緒に海の中に入り猿田彦は麦こがしを振り撒き、獅子は御鳳輦に寄り添い警護します。神輿の海中渡御で、獅子や猿田彦がともに海に入るのは珍しいです。

御神幸行列は6時間にも亘り市中を巡った後、還御し神社で還幸祭を行います。

また、前日に続いて、夜には多くの町内神輿と木彫り山車や装飾山車などの町内山車30台以上が、歩行者天国になった国道135号線などを練り、「山車コンクール」も行われます。山車コンクールは昭和44年(1969年)から始まったそうです。

<鹿島踊りの歌詞>

(口上)千早振る神々をいさむなればみろく踊りめでたし

一、誠やら熱海の浦に みろくお船が着いたとせ ともへには伊勢と春日の 中は鹿島の御社

二、天竺の雲の間で 十三小姫が米(ヨネ)をまく その米を何んとまく 日本つづきと米をまく

     (以下省略)

 

 神女神楽(来宮神社)                      浦安の舞(木宮神社)

 

  鹿島踊り(来宮神社)                      鹿島踊り(湯前神社) 

 

御鳳輦の浜降り神事

 

     獅子舞                            こがしを撒く猿田彦

 

   神事(御神池)                        神女神楽(御神池)

 

    浦安の舞(御神池)                       鹿島踊り(御神池) 

 

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