十二段舞楽(天宮神社)

【祭礼日】4月第一土・日曜日
【場 所】天宮神社(周智郡森町天宮576)

【日 程】15:30~21:00(土・日曜日とも)

天宮(アメノミヤ)神社の「十二段舞楽」は、文武天皇の慶雲2年(705年)京から中村連綾足(ムラジアヤタリ)が神主として着任して奉納したと伝えられ、応仁・文明の乱などにより一時途絶えた時期もありましたが連綿と伝承され、現在では天宮地区の氏子青年団「天社轂(テンシャコク)」・「天宮神社舞楽保存会」により受け継がれています。

天宮神社の十二段舞楽は、例大祭の前夕祭と本祭の両日、境内の舞殿で奉納されます。舞殿は2間四方の高欄付建物で、渡り廊下によって楽屋とつながっています。囃子は、大太鼓・鉦・鼓各1人と笛数人が楽屋で奏します。演目と概要は次の通りです。

一番 延舞(エンブ) 稚児二人舞 鉾を持ち、天地・八方・舞台を祓い清める舞です。

二番 色香(シキコウ) 大人二人舞 日輪・月輪を背負い、冠を被り菩薩面を着ける2人が左右に対峙して舞います。

三番 庭胡蝶(テイコチョウ) 稚児四人舞 前天冠を被り赤と緑の上衣・赤の袴を着ける4人が、極楽浄土で舞い遊ぶ蝶を表わします。

四番 鳥名(チョウナ) 稚児四人舞 庭胡蝶と同じ衣装の4人が、極楽浄土で舞い遊ぶ鳥を表わします。

五番 太平楽(タイヘイラク) 太刀四人舞 太刀と呼ばれる稚児より年上の少年4人が、最初、鉾を持って、次に、太刀を持って天下泰平・五穀豊穣を祈り、舞い歌を唱えながら舞います。最後に、太刀を持って舞う一人舞があります。

六番 新靺鞨(シンマカ) 稚児四人舞 前天冠を被り金色の上衣・赤の袴を着け、笏(シャク)を持って舞います。靺鞨は、中国の隋唐時代に中国東北部・沿海州に存在したツングース系の民族です。

七番 安摩(アマ) 大人一人舞 冠を被り蔵面という紙で作った面を着け、笏を持って舞います。

八番 二の舞(ニノマイ) 大人二人舞 安摩との番舞(ツガイマイ)。翁(オキナ)と媼(オウナ)が安摩の真似をして舞いますがうまく真似ができません。「二の舞を踏む・演じる」という言葉は、この舞が起源だといわれています。

九番 陵王(リョウオウ) 大人一人舞 龍頭を模した冠を被り、鋭い眼と吊り顎の金色の面を着け、長い桴(バチ)を持って舞います。中国・北斉の武勇の王・蘭陵王は、あまりの美男子で兵士の士気が下がるとして、仮面を着けて出陣したといわれます。

十番 抜頭(バトウ) 稚児一人舞 前天冠を被り金襴の上衣・赤の袴を着け、桴を持って舞います。「ザットラボー」と呼ばれる稚児合戦は行われませんでした。

十一番 納曽利(ナソリ) 大人一人舞 陵王との番舞。見開いた眼と吊り顎の緑色の面を着け、桴を持って舞います。

十二番 獅子(シシ) 大人三人舞 この舞が始まると観衆が一気に増えます。悪霊重複と五穀豊穣を祈る舞です。冠を被り面を着けた「獅子伏せ」が大きな榊の枝を担いで舞台を清めます。次に、獅子が登場し、獅子伏せがこれと闘い退治します。

舞の途中で獅子伏せが休み、鼻をかむ所作をし鼻紙を放り投げると観衆が競ってこれを拾います。鼻かみの所作は「花拝み=神拝」であり、鼻紙は風邪除けの御利益があるとされています。

 

舞 殿                                                          延 舞

 

色 香

 

庭胡蝶

 

鳥 名

 

太平楽

 

新靺鞨

 

安 摩

 

二の舞

 

陵 王

 

抜 頭

 

納曽利

 

獅 子

 

獅 子

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