大頭祭(武水別神社)

【祭礼日】12月10~14日
【場 所】武水別神社(千曲市八幡3012)

【日 程】10~14日13:00~13:30(出立式=松田家斎館)、14:00~14:40(神楽・軍楽隊奉納・御供撒き=斎ノ森神社)、15:10(臼道祖神)、15:50(武水別神社)(13日のみ、19:00~20:00「夜練り祭」あり=武水別神社鳥居前~拝殿)

大頭(ダイトウ)祭は、新穀の餅を神に捧げて収穫を感謝する新嘗祭(ニイナメサイ)を、氏子の中から選ばれた「頭人(トウニン)」を中心にして行われる祭事で、400年以上の歴史があるといわれます。

頭人は、旧七郷(現在の千曲市八幡・更科・五加地区)の氏子の中から、毎年5人ずつ新しく選ばれます。頭人には順位があり、五、四、二、一番頭の順に順位が上がり、各地域ごと五番頭から順次務めた後、三番頭を務めます。三番頭が最高位の「大頭」で、ここからこの祭りを大頭祭と呼んでいます。

大頭祭は12月10~14日まで5地区が日替わりで担当し、10日の一番頭から始まり、二、三、四番頭と進み、14日に五番頭が行います。行事内容は5日間ともほぼ同じですが、お練りの出し物が異なるようです。12日が三番頭で一番賑わうそうです。また13日は、四番頭の練り歩きに加えて、夜に大頭である三番頭の「夜練り祭」もあるそうです。今回は一番頭の仙石区が担当する10日の行事を見学しました。

武水別(タケミズワケ)神社の近くにある松田家斎館の庭の隅に設けられた「オハッカイ」と呼ばれる祭壇前で、白張(ハクチョウ)装束に烏帽子を被り白足袋に草鞋履きの頭人・脇頭と裃の袴を高股立ち(タカモモダチ)にし
た警護役10数人(うち4人は黒の陣笠を被る)により出立式が行われます。式の最後に、オヒネリを満載した白い箱を高股立ち姿の1人の頭に載せます。

出立式が終わると、「新嘗祭壱番頭」の幡を先頭にR77と平行する頭人道を、行列を組んで1Km余り南下し斎ノ森(サイノモリ)神社に至ります。途中4ヶ所の遥拝地点で遥拝します。またオヒネリも遥拝地点などで撒かれます。通りの各家の庭には100~200ヶも鈴なりに成ったリンゴの木が見えます。初めて見る光景です。

斎ノ森神社に着くと、頭人・脇頭は社殿に入り、仙石区の神楽(獅子舞)・宝船・軍楽隊などの奉祝挨拶を受けます。最後に、紅白の幕や杉の枝・竹・風船で飾られた大型トラック(宝船)の上から大量の御供(ゴク)(ミカンや日用品など)が撒かれます。

そして武水別神社への神楽・宝船・軍楽隊・頭人のお練りが始まります。沿道の家々では豆殻を焚いて行列を迎えます。途中、臼道祖神前でオヒネリが撒かれ、宝船から御供が撒かれます。

頭人・脇頭は青海橋で、予め敷かれた茣蓙の上で草鞋から木履(キグツ)に履き替えます。これから神様に会いに行くため履き替えるのだそうです。ここから頭人達は警護役が差す朱傘と共に進むと下乗橋と呼ばれる太鼓橋があり、木履に履き替えた頭人達は歩いては越えられないので警護役に助けられて橋を渡ります。

次に鳥居を潜った所で最後のオヒネリ撒きを行い、頭人・神楽・軍楽隊の順で参道を進み本殿・末社に参拝します。その後、境内で宝船から最後の御供撒きが行われます。お練りの翌日の夜、頭人と脇頭が新穀の餅・御米・御菜・御薪を御供所に納める御供積みが行われるそうです。

かつては、一度大頭の役を務めた家は大頭筋と称され地域で高い家格を得たとされる一方、家が潰れるというほどの出費を要したそうですが、現在は担当地区の全員の寄付をベースにしているようです。

 

    出立式(松田家斎館)                  オヒネリを入れた箱を頭に載せる

 

       頭人の行列(頭人道)                   オヒネリを撒く(斎ノ森神社)

 

軍楽隊の奉祝挨拶(斎ノ森神社)                   神楽奉納(斎ノ森神社)   

 

    御供撒き(斎ノ森神社)                    豆殻を焚いて迎える(神楽)

 

豆殻を焚いて迎える(軍楽隊)                        頭人の行列       

 

木履に履き替える(青海橋)                     太鼓橋渡りを手伝う  

 

朱傘の頭人行列(武水別神社)                   御供まき(武水別神社)

祭りの栞(トップ)

 

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