太々神楽(犀川神社)

【祭礼日】9月21日
【場 所】犀川神社(長野市安茂里4803)

【日 程】18:00(太々神楽=差出北公民館)、19:45(公民館出発)、20:00(打上花火=神社)、21:00~22:15(太々神楽・杜煙火=神社)

犀川(サイガワ)神社の「太々(ダイダイ)神楽」は、戦国時代に信濃国川中島を訪れた伊勢神宮の「御師(オンシ)」から伝えられた獅子舞で、悪魔を払い五穀豊穣とその土地の安泰を願います。御師は、伊勢神宮の神札を配り参宮の勧誘をするために全国に派遣されていました。

太々神楽は、犀川神社の秋季例大祭の宵宮祭に「杜煙火(モリハナビ)」とともに奉納されます。奉仕するのは犀川神社の氏子域である差出(サシデ)・大門(ダイモン)・小路(コウジ)・西河原(ニシガワラ)の4地区の氏子の皆さんです。小路・西河原は小西組として合同で参加します。

予め犀川神社の様子を見ておこうと17時半頃、神社に行くと境内に今日の演目を書いた看板が立っています。表題は「番付」としてあります。

【番 付】1.長綱十二燈、2.三宝、3.笠鉾、4.三番叟、5.立火、6.長母呂(ナガホロ)、7.額火、8.車火、9.曲獅子、10.大瀧、11.白瀧、12.清瀧、番外.東海道打上花火・早打大スターマイン

どうやら花火大会の中で太々神楽が奉納されるようです。太々神楽は4番の三番叟・6番の長母呂・9番の曲獅子の三つで、あとは全て花火の名称です。

花火大会の席取りに来ていたという地元の方にお聞きすると、長野市内の神社で行われる獅子舞には花火大会が付き物で、皆さんの関心は獅子舞よりも花火大会にあるようです。

犀川神社の杜煙火は、文政7年(1824年)に神社の社号を「日吉山王社」から現在の犀川神社に変更した際に披露奉納したのが始まりとされています。

神社で待つこと2時間半、20時過ぎから境内で打上花火が上げられます。後で知ったのですが、18時から差出北公民館で3地区の太々神楽が披露された後、神楽屋台と囃子方が行列を組んで犀川神社に向かいます。

太々神楽の一行が神社に着くと、これを迎えるかのように本殿前の石段上に据えられていた「長綱十二燈」の花火が点火されます。

この後、境内の一角に敷かれた茣蓙の上で太々神楽が奉納されます。神楽屋台と囃子方は茣蓙の後ろで笛・太鼓を囃します。

神楽屋台は差出区・大門区・小西組の3台があり、いずれも一間社流れ造り形式の社を乗せたリヤカータイプで、後部に大太鼓と締め太鼓を据えています。囃子方は紺の長着・羽織姿です。

最初に「三番叟」が舞われます。獅子は一人立ちで、袂の長い赤の襦袢・浅葱(アサギ)色の股引姿に獅子の母呂(胴幕)を後ろに託して腰紐で縛り、右手に鈴を左手に扇を持って舞います。

次に、「母呂出し」「長母呂」で、三人立ちで舞ったり、一人立ちで紺の長着姿に右手に鈴を左手に御幣を持って舞ったりします。最後に、三人立ち2頭獅子の「曲獅子」で、「蚤取り」「毬獅子」を舞います。太々神楽は全部で1時間ほど舞われます。

しかしながら観客の殆どは、太々神楽と並行して行われている杜煙火の方を見ています。杜煙火は、ワイヤーをガイドに火種が頭上をロケットのように飛んでいき花火本体に着火する仕掛花火で、太々神楽を真正面で見学していると花火を見るには適していない場所なので、どちらかを犠牲にしなければなりません。

杜煙火は、江戸時代から続く差出昇声流・大門大火流・小西霞真流の三流派によって行われます。ナイヤガラの滝のような花火「清瀧」が終わると、差出区・大門区・小西組の3台の神楽屋台は笛・太鼓を囃しながらそれぞれの地区に向かいます。

 

長綱十二燈

 

神楽屋台(左=小西組、右=大門区)                     三番叟           

 

母呂出し                               杜煙火

 

     長母呂                              曲獅子(蚤取り)

 

  曲獅子(蚤取り)                         曲獅子(鞠獅子)

 

 神楽屋台(差出区)                       神楽屋台(大門区)

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