大河内のシカオイ行事(池大神社)

【祭礼日】3月3日(旧暦)
【場 所】池大神社(下伊那郡天龍村神原5143)

【日 程】14:00~14:30(神事・序の舞)、14:45~15:00(シカオイ・餅投げ)、15:15~15:30(神送り)

大河内のシカオイ行事は池大(イケダイ)神社の春祭りに行われ、藁製の鹿を弓矢で射ち害獣追放を祈る農耕予祝と豊猟予祝の要素が複合した山地農民の予祝行事です。

当日の午前中から、シカオイ行事で使用される鹿とシカオイ行事のあと行われる神送り行事で使用されるコシキ作りが行われます。

【鹿の作成】鹿の頭部と胴体は藁で、胴体にはハラワタとして紙に包んだ小豆飯と粢(シトギ)の菱餅を詰めます。粢は水に浸した生米をつき砕いて固めた食物です。次に胴体に楓の若木で作った足4本を挿し込みます。頭部には楓の枝を角として挿し込み、さらに杉板で作った耳2ヶと舌を添えます。

仕上げとして紙垂(シデ)数本を付けた注連縄を鹿の胴体に巻き付けます。例年は雄雌各1頭だけ作るのですが今年は子鹿1頭も作られました。

【コシキ】神送りで使用されるコシキは、直径40cmほどの藁製の輪を2ヶ作り、1ヶを下段用、1ヶを上段用とします。下段用の輪の内側には補強用の細竹6本を水平に差し渡します。次に、先端に7~8色の紙垂を挟んだ長さ70cmほどの細竹20本余を、上段用輪の内側に沿って下段用の輪に挿し込みます。

次に、先端に金銀の紙垂を付けた長さ80cmほどの太い楓の枝を輪の中央に立て、倒れないように藁縄で上・下段用の輪に縛り付けます。コシキ作りは午前中に終わり、鹿の組み立ては午後から行われました。

鹿作りが終わると神事が始まります。粢の菱餅等の献餞・祝詞奏上・玉串奉奠の後、神前で宮人による五穀豊穣を祈願する「序の舞」が奉納されます。この舞は、1月5日に行われる池大神社例祭(霜月神楽)でも舞われるそうです。

神事が終わると、拝殿で小豆飯と粢の菱餅が約20cm角の杉板の上に盛り付けされ参拝者に配られます。

【シカオイ】拝殿のある石垣の上で弓矢を持った狩人役の禰宜が、紙垂の付いた締め縄を肩掛けし1mほどの木の枝を持った勢子役2人に、田畑を荒らす鹿を周辺の山々から追い立てるよう命じます。狩人役と勢子役の「見に行ったが鹿はいなかった」「足跡があったから良く見てほしい」などのやりとりの後、勢子役が「鹿が出たぞう」と叫び戻ります。

追い立てられた鹿と見立てた石段下の鹿を狩人役が弓矢で射止める所作をし、これを見た子供たちが鹿の腹から小豆飯と粢の菱餅を取り出します。これを食べると万病に効くといわれています。一方、鹿の舌と耳は三方(サンボウ)に載せて本殿に供えられます。

最後に石垣の上から餅と菓子が投げられ、木の枝を切って作られたクワ(鍬形)が参拝者に配られます。これを家の恵美須棚に供えて一年の豊作を祈願し、秋祭りでお米を神社に返すのだそうです。

【神送り】シカオイ行事の後、神社から100mほど離れた愛宕堂前で疫病除けの神送りが行われます。「神様の休み石」の上にコシキを置き禰宜が祭文を奏上します。コシキには村人から供えられたお米が入っています。

次に禰宜と村人が鉦と締め太鼓を一打ちした後、コシキ・鉦・締め太鼓を軽トラに載せて1Kmほど先の村境の斎場に向かい、そこで再び神送りの祭文を奏上します。昔は、鉦・締め太鼓を打ち鳴らしながら村内を巡行しコシキにお米を入れてもらって斎場に向かったのだそうです。

 

       コシキ             菱餅と小豆飯を鹿の腹に詰める

 

  鹿を作る                 完成した鹿3頭

 

    順の舞                                  菱餅と小豆飯

 

狩人約が鹿の追いだしを命ずる                 腹から菱餅・小豆飯を取り出す

 

菱餅と小豆飯                                 餅投げ  

 

配られたクワ(鍬形)                            神送り       

     

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