采女祭(采女神社)

【祭礼日】8月15日(旧暦)
【場 所】采女神社(奈良市樽井町1)

【日 程】17:00(花扇奉納行列出発=JR奈良駅前)、18:00(花扇奉納神事=采女神社)、19:00~19:30(管絃船の儀=猿沢池)

采女(ウネメ)神社は春日大社の境外末社で、猿沢池の西北の隅にあり鳥居を背にした珍しい後ろ向きの神社です。鳥居は猿沢池側にあるので社殿は池にも背を向けていることになります。

平安時代中期の歌物語「大和物語」によれば、「奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官)が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の畔にある柳に衣を掛け入水(ジュスイ)したのでその霊を慰めるために社を建てた。しかし、采女は我が身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにした」と伝えられています。

「采女祭」は采女の命日の時期とされる中秋の名月(旧暦8月15日)に行われ、600年の歴史がある伝統行事ですが、「花扇」奉納の行事は、昭和24年(1949年)から始められたのだそうです。

【花扇奉納行列】夕方5時、采女神社に花扇を奉納する行列がJR奈良駅前から出発します。行列には「南都楽所(ナントガクソ)」の楽人・御所車・稚児数十人・「白拍子」10人・舞楽舞人2人など約200人が加わります。

花扇は扇形の木の桟に秋の七草を飾り付けたもので、開いた扇の幅は1m、長さ2mほどです。

御所車には、十二単姿の「花扇使」と天平衣装の福島県郡山市の「ミスうねめ」2人が分乗しています。天平衣装の「ミス奈良」も愛きょうを振りまきながら練り歩きます。

白拍子は平安朝末から始まった男装の舞妓で「靜御前」・「佛御前」が有名です。舞楽舞人は「迦陵頻(カリョウビン)」と「胡蝶(コチョウ)」を舞う男児です。

郡山市のミスうねめが奈良市の采女祭に参加するのは、郡山市でも昭和40年(1965年)から「うねめまつり」が行われており、この縁で奈良市と郡山市は昭和46年(1971年)姉妹都市になったためだそうです。

【管絃船の儀】行列が采女神社に着くと「花扇奉納神事」が行われ、その後、管弦船2艘(龍頭船と鷁首(ゲキシュ)船)が采女神社の脇から猿沢池に出ます。龍頭船には舞楽舞人・花扇使・楽人・花扇が乗り、鷁首船には郡山市のミスうねめ2人と白拍子10人が乗ります。

「鷁(ゲキ)」は中国の想像上の水鳥で、強風の中でも難なく飛ぶことができるので水難避けとされています。

それぞれの管弦船の前後には、竿を持つ船頭2人と松明を持つ2人が乗り、池に浮かぶ30~40ヶの流し灯籠を縫うようにして猿沢池を三周し、最後に花扇を池中に投じます。

管絃船の儀が終わると、神社関係者から所望者に秋の七草を束ねたものが授与されます。当夜、猿沢池に手足をひたすと冬になってもしもやけにならないといわれています。

 

ミス奈良                                 楽 人

 

      御所車(花扇使)                     御所車(郡山市ミスうねめ)

 

 白拍子                                 舞楽舞人

 

花 扇                                 花扇使

 

流し灯籠                                龍頭船

 

鷁首船

 

 

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