蓮華会・蛙飛び(金峯山寺蔵王堂)

【祭礼日】7月7日
【場 所】金峯山寺蔵王堂(吉野郡吉野町吉野山2500)

【日 程】10:00(蓮華取り=大和高田市奥田捨篠池)、12:00(蓮華大護摩供=弁天神社)、12:00(蛙太鼓台大護摩供=吉野町六田初花権現(前花神社))、12:30(蛙太鼓台出発=竹林院前)、13:00(蓮華行列出発=弁天神社)、15:00(蛙太鼓台・蓮華行列出発=下千本ロープウェイ吉野山駅前)、16:00(蓮華会・蛙飛び法要=蔵王堂)、17:00(採灯大護摩供=蔵王堂境内)

「金峯山寺(キンプセンジ)の蓮華会(レンゲエ)」は蓮華(ハスの花)を蔵王権現に供える行事で、この中で「蛙飛び行事」が行われます。

当日朝、大和高田市奥田にある捨篠池(ステシノイケ)の蓮華を刈り取り、役小角(エンノオヅヌ)の母である刀良売(トラメ)の墓参などをした後、池の畔にある弁天神社で「大護摩供(オオゴマク)」の儀式を行います。捨篠池は役小角が産湯をつかったと伝えられる池です。

同じ時刻に、吉野山麓にある初花権現(前花神社)で、蛙を乗せた布団太鼓台の大護摩供の儀式が行われています。このあと蛙太鼓台は竹林院に移り神輿とともに下千本のロープウェイ吉野山駅前まで練り歩きます。

蛙太鼓台は、吉野山青年団の名が書かれた紺の法被・白の短パン姿の20数人が担ぎます。太鼓台には緑の蛙の着ぐるみを着けた1人と太鼓を打つ1人が乗っています。神輿は、白の狩衣(カリギヌ)姿に数珠を首に掛け烏帽子を被る10数人が交替で担ぎます。

大和高田市の弁天神社で蓮華大護摩供を終えた一行はバスで吉野山に移動し、ロープウェー吉野山駅前で蛙太鼓台・神輿と合流し金峯山寺蔵王堂へ向かいます。この時、捨篠池で刈り取られた蓮華は二つの桶に分けて入れられトラックに積まれています。

蔵王堂に着くと、蛙は吉野山青年団の法被を着けた2人に担がれて蔵王堂内陣に入ります。蔵王堂前の石段の両側には山伏10人が並び立ち、内陣に入る山伏・蓮華・僧侶・神輿を迎え法螺貝を吹きます。蓮華は天秤棒に吊るされて、神輿の担ぎ手と同じ衣装の4人が2組で内陣へ運びます。

内陣での蓮華会の法要が終わると、蛙飛びの行事が始まります。

寺伝によると『白河天皇の延久年間(1069~73年)に、神仏を侮っていた男が金峯山の山上ヶ岳(サンジョウガタケ)で蔵王権現や仏法をそしる暴言を吐くと、たちまち大鷲にさらわれ断崖絶壁の上に置き去りにされたのを、偶々通りかかった金峯山の高僧が男を蛙の姿に変えて助け、蔵王堂で一山僧侶の読経によって元の姿に返した』といわれます。

着ぐるみの蛙が黒の紗を着けた僧侶に助けられながら内陣から石段を下り、仮設の花道の端にある台座に座ります。太鼓台に乗っていた蛙とは着ぐるみの衣装に違いがあり交代したようです。

鉦が打ち鳴らされると、蛙はピョンピョンと跳びはねて花道から石段を上がり大導師の許に跪(ヒザマズ)き、次に、石段下の左右の台座に座る脇師の許に跪き、それぞれ経文の読誦(ドクジュ)を受けます。

再び蛙が大導師の許に行くと蛙は人間に戻り、蛙の着ぐるみを着けた人が頭部を脱ぎ顔を現します。

蛙飛びの行事が終わると、境内で「採灯(サイトウ)大護摩供」が行われます。注連縄で仕切られた祭場に山伏姿の数十人が入場します。

行者問答はなく、法剣・法斧・法弓の儀式の後、願文読み上げ・火入れ・読経の順で行事が進みます。

 

蛙太鼓台を担ぐ                            神輿を担ぐ

 

     蓮 華                             蓮華を内陣に運ぶ

 

  内陣の祭壇                           花道の端に座る蛙

 

    蛙飛び                            大導師が授戒する

 

脇師が授戒する                          人間に戻った蛙

 

山伏入場                                 法 弓

 

火入れ                                  読 経

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