【祭礼日】6月第四土曜日
【場 所】明日香民俗資料館(高市郡明日香村岡410)
【日 程】13:30~14:00
明日香の「南無天(ナモデ)踊り」は、大正の初めまで踊られていた雨乞いの踊りで、飛鳥川上流にある「飛鳥川上坐宇須多岐比売命(アスカカワカミニイマスウスタキヒメノミコト)神社」に嘉永6年(1853年)9月、奉納された絵馬や古老の記憶などを基に、1980年代の後半に復活されました。絵馬は、現在は明日香民俗資料館に保管・展示されています。
飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社は、本殿はなく拝殿後方の南淵山(ミナブチヤマ)をご神体とする原始神道の神社です。
「日本書紀」巻24の「皇極天皇」(在位642~645年)の項に次の記述があり、明日香の南無天踊りの起源ともいわれています。
『八月甲申朔、天皇幸南淵河上、跪拜四方、仰天而祈。卽雷大雨。遂雨五日、溥潤天下。或本云、五日連雨、九穀登熟。於是、天下百姓、倶稱萬歲曰、至德天皇』
すなわち、『(即位元年)8月1日、天皇は南淵の河上に行き、跪いて四方を拝み、天を仰いで祈りました。すぐに雷が鳴り大雨が降りました。ついに雨が降ること5日、あまねく天下を潤しました。ある本によると5日連続で雨が降って、九穀が成り熟したといいます。ここに天下の百姓たちはともに喜び、徳のある天皇だと称えました。』
南無天踊りは、第一部:女帝天をまつる、第二部:万民天にうったえる、第三部:おおいに雨降る、第四・五部:満願成就万民歓喜する、の五部編成になっています。
囃子方は大太鼓1人・鉦1人・歌5人で、太鼓打ちと鉦打ちは、行燈袴姿に白のシャグマを被っています。歌方は紺の作務衣(サムエ)姿です。第四・五部の太鼓踊りでは歌方のうち2人が笛方になります。
第一部では、皇極天皇が天を仰ぎ雨を乞います。第二部では、浄衣姿の3人と野良着姿の7人が天を仰ぎ、太鼓を叩き龍を躍らせて雨を乞います。
第三部では、藤色の着物姿の3人が榊の枝に付けた五色の布を振り、おおいに雨が降るさまを表します。第四部・五部では、太鼓踊りにより雨の恵みに喜び感謝するさまを表します。
南無天踊りの歌詞は次の通りです。
<第二部>
て天つくつ 天つくつ
て天つくつ 天つくつ
て天なもで 天なもで
て天なもで 天なもで
命の水も 涸れ果てゝ
田畑は焼ける 人は泣く
雨をたんもれ 雨たもれ
岡に奥山 豊浦は
池を清めて 待ちくらす
雨をたんもれ 雨たもれ (以下省略)
<第三部>
て天つくつ 天つくつ
て天つくつ 天つくつ
てしてし 天なもで 天なもで
てしてし て天なもで 天なもで
葛城に生(ア)れし 八百(モ)雲
越智の丘 桧隈越して
あすか路を あまねく包む
雨となりつつ
三日四日降りし 止まねば
畑ん谷 男滝女滝も
高鳴りて 峠の道に
とよもするかも (以下省略)
囃子方 女帝天をまつる
万民天にうったえる
おおいに雨降る 満願成就万民歓喜する