御田子・的打ち(下部神社・恵比寿神社)

【祭礼日】4月29日
【場 所】下部神社(奈良市都祁吐山町3955)・恵比寿神社(奈良市都祁吐山町3886)

【日 程】13:00(神事=下部神社)、13:30(渡御)、14:00(御田子=下部神社・恵比寿神社)、14:20(的打ち=恵比寿神社前)、15:00(御供まき=恵比寿神社)

下部(オリベ)神社とその境内摂社である恵比寿神社で4月29日に春祭りが催され、渡御行列・御田子(オンタコ)・的打ちの三つの行事が行われます。かつては4月23日に行われていたそうです。

【渡御行列】下部神社で神事が行われた後、神号幟・神社御幣4本・宮守・榊台・槍・薙刀・式士(シキシ)・甲冑武者・的板・御田子・射手稚児(イテノチゴ)などの順で行列を組んで渡御が行われます。

神社御幣4本には、下部神社とその摂社である春日・十二社・恵比寿神社の名がそれぞれ書かれています。榊台は、白の狩衣(カリギヌ)・青の袴姿に立烏帽子(タテエボシ)を被る小学生男児の「神子(カンコ)」4人が担ぎます。

下部神社が三角形の底辺の真ん中に位置するとしたとき、恵比寿神社は底辺の右端に位置します。渡御行列は下部神社から出発し恵比寿神社を左折し、三角形の頂点で国道に出ます。これを左折し国道を進み吐山(ハヤマ)交差点の信号を超えて三角形の左端で左折し下部神社に戻ります。

次に、先ほどの左廻りと反対に右周りで周回し下部神社に戻ります。

【御田子】渡御が終わると、下部神社境内の一角で御田子と式士による御田子(御田植行事)が行われます。御田子は、かつては下部神社の氏子域9大字でこの一年の間に生まれた男児各大字の中から1人ずつとされていましたが、少子化の現在では対象の男児は幼児にまで拡げられています。

御田子は普段着姿なので区別がしにくいですが、薄切りした竹で編んだ農具の箕(ミ)のような形の笠を背にしたり、付き添いの親が笠を手に持っていたりします。笠には頭台の丸輪も付いています。今年の御田子は7~8人でした。

式士5人は、紺の素襖(スオウ)姿の腰に太刀を帯び立烏帽子を被り手に鍬や柄振(エブリ)を持っています。

黒紋付袴姿の氏子役員1人が、苗に見立てた杉の枝が入る竹籠2ヶを天秤の竹に付けて持ち出すと、御田子が竹籠から杉苗を取り出します。

この御田子では、宮守が「伊勢の山の御田打つ男 しがらみのかさきて 植えようじょ 植えようじょ」と3回歌い、射手稚児は手に持つ摺り鉦を鳴らし、甲冑武者は太鼓を打ちます。

式士が鍬による田打ちと朳(エブリ)による田均しの所作を行った後、御田子が田植えの所作として杉苗を田に投げ込むことになっていますが、御田子は杉苗を手にするとすぐに田に投げ込んでしまい、田打ちと田均しはその後に行われました。

下部神社での御田子が終わると、100mほど先にある恵比寿神社境内に移り同じように御田子が行われます。ここでは本来の順番通りに行われました。

【的打ち】御田子が終わると、恵比寿神社と国道を結ぶ間の道端で「的打ち」が行われます。

的打ちの的は、長さ3mほどの青竹の先端に30cmほどの正方形の板を付けたもので、これを道の土手の3ヶ所に立てます。射手稚児は1人で、赤の広袖・黒茶の野袴姿に赤の布を垂らした笠を被り、手に弓を持ち鏑矢(カブラヤ)1本を入れた竹籠を背負っています。

的との距離は1mもないほどですが、稚児は真剣な眼差しで的を狙います。的に矢が当たるとその度に的打ちを見守っていた式士などが拍手します。

的打ちが終わると恵比寿神社ですべての行事が終えたことを奉告する神事が行われ、その後「御供(ゴク)まき」が行われます。

 

           神事(下部神社)                御幣(下部・春日・十二社・恵比寿神社)

 

 渡御行列(神号幟・御幣)                    渡御行列(榊台と神子)

 

   渡御行列(宮守・式士)                  渡御行列(御田子・射手稚児)

 

   杉苗を取る(下部神社)                  杉苗を投げ込む(下部神社)

 

鍬・柄振で田を打ち均す(下部神社)                   的を立てる         

 

的打ち

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