白狐お渡り(源九郎稲荷神社)

【祭礼日】3月最終日曜日 or 4月第一日曜日
【場 所】源九郎稲荷神社(大和郡山市洞泉寺町15)

【日 程】10:00(巡行安全祈願祭・白狐踊り=神社)、14:00~15:00(白狐お渡り)

『源義経が兄頼朝の討手を逃れて吉野山に落ちのびたとき、白狐が佐藤忠信に化けて側室静御前を送り届け、義経と静を守り通しましたが、義経に狐であることを見破られます。この狐は静が持つ初音の鼓が両親でできていたことから、それを慕って佐藤忠信に化けていたことを話すと、義経は親を慕う狐に同情し、また自分たちを狐の神通力で守り通してくれたことに感謝し、自分の名である「源九郎」をこの狐に与えました。それが源九郎稲荷神社の名の由来になったと伝えられています』(神社ホームページより)

源九郎稲荷神社の「白狐踊り」を見学するつもりで出かけたのですが、情報不足で白狐踊りは午前中に終わっていたため、午後からの「白狐お渡り」を見学することになりました。といっても白狐お渡りは「大和郡山お城まつり」の行事の一つとして行われています。

大和郡山お城まつりは1961年から始まり今年が第59回で、桜の季節に合わせて3月下旬から4月上旬に、数珠くり法要・金魚品評会・時代行列・白狐お渡りなど盛り沢山の行事があります。時代行列と白狐お渡りは雨のため2年続いて中止となり、今年は3年ぶりに行われたのだそうです。

【時代行列】13時30分、外堀緑地公園の高麗門(南門)で出陣式を行った後、興正菩薩(コウショウボサツ)叡尊(エイソン)上人を先頭にして筒井順慶甲冑隊・柳澤吉里(ヨシサト)子供大名行列など大和郡山市に縁の深い人物の行列が、大和郡山城址を経由して市街地を巡行します。

叡尊上人は西大寺中興の祖で大和郡山出身で、筒井順慶は大和郡山城主にもなった武将です。柳澤吉里は甲斐甲府藩の第2代藩主で、後に大和国郡山藩の初代藩主になっています。この時代行列に白狐お渡りの行列が続きます。

【白狐お渡り】高張提灯1対・獅子2頭・神社幟8本・義経静御前・白狐踊り幟3本・白狐踊り40人・囃子山車1台・三味線笛10人・子供神輿1基、白狐はやし山車1台の順です。

白狐踊りの子供たちは、白衣に狐の面を付け顔に白い線を描き、おしりには狐の尻尾も付け、白狐はやしに合わせて白い房を上下に振ります。

白狐お渡りは、郭町であった洞泉寺町の楼主たちが中心になって1937年から始めその後中断し、1978年に青年会議所メンバーらが復活させたのだそうです。

 

                出陣式                         中央(大和郡山市長)・右(甲府市長)

 

柳澤吉里子供大名行列                                 女武者       

 

高張提灯                                       獅 子

 

源九郎稲荷神社宮司                              義経・静御前   

 

白狐踊り

 

囃子山車                                  三味線・笛

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