御田植(手向山八幡宮)

【祭礼日】2月節分の日
【場 所】手向山八幡宮(奈良市雑司町434)

【日 程】 11:00~11:40(御田植)、11:50~12:00(豆撒き)

手向山(タムケヤマ)八幡宮は、天平勝宝元年(749年)東大寺大仏建立のため、九州豊前国宇佐八幡宮より東大寺の守譲神として勧請され東大寺に属してきましたが、明治元年の神仏分離令により東大寺から独立した神社になりました。

手向山八幡宮の「御田植(オンダ)」は、戦国時代の永禄11年(1568年)には行われていた記録があるとされ400年以上続く御田植祭の行事で、能楽の形式をとっていることがその特徴です。

【演 目】1.水口祭、2.鍬初め、3.牛使い、4.エブリ使い、5.肥使い、6.種蒔き、7.見廻り、8.早乙女招き、9.田植え

祭りに先立って、神職・笹竹・牛童(ウシワラベ)・田主(タヌシ)・早乙女・地方(ジカタ)の順で列を組んで、「西の山に 青い雲の さし出たは あの地かや この地かや」と謡いながら境内を一周し、楼門をくぐって拝殿に上ります。

牛童は、若草色の狩衣(カリギヌ)・紫の袴姿に白足袋を履き、頭に牛面を載せています。田主は、白の小袖・紫の袴姿に赤の襷を掛け、藁製の脛巾(ハバキ)を着け白足袋・草鞋を履き、翁面を着け烏帽子を被っています。早乙女は巫女姿の5人です。地方は、白丁姿と丁子色の半纏姿の数人です。

祭りは拝殿を田と見立てて行われ、本殿に向かって拝殿の左側に地方が、右側に神職・牛童・早乙女が座ります。

1.水口祭 田主が本殿と拝殿の間に下り、瑞垣の門柱の元に小幣を立て、切餅と籾種を三盛供えて、鼓と土拍子(摺り鉦)を3度ずつ打ちます。門柱は瑞垣の左右にありそれぞれの門柱の元で行います。左右の門柱の脇には若松の枝が立ててありこれを田の水口としているようです。

2.鍬初め 田主が鍬を肩に担いで「今日は最上吉日なれば、鍬初めをせばやと存じ候」「打て候へば天下泰平、宝祚(ホウソ)長久、国土安穏、五穀成就、社頭尊厳、氏子繁昌と打よせて候」と口上し、田主は鍬で田を打つ所作をします。地方は、田主の口上の都度「めでとう候」と受けます。

3.牛使い 田主が「田は打って候へば牛をつかい候」と口上し、田主が持つ唐鋤(カラスキ)を牛童が曳き「モウ、モウ」と鳴きながら拝殿を二周し、田起こしの所作をします。

4.エブリ使い 田主が朳(エブリ)を肩に担いで「牛は使い候程に朳を使い候」と口上し、朳で田を均す所作をします。

5.肥使い 田主が「朳は使い候ほどに肥を使い候」と口上し、松葉や裏白(ウラジロ)などで作った丸い作り物(肥草)2ヶを天秤棒に担いで拝殿を一周します。

6.種蒔き 田主が「肥は使い候程に種子をまき候」と口上し、左手に抱えた福桶の中の糯米(モチゴメ)とキリコ(鏡餅を小さく四角に切ったもの)を撒きながら「東田へまこうよ」「西田へまこうよ」「南田へまこうよ」「北田へまこうよ」「川上田へまこうよ」「日本国まこうよ」と口上し、地方はその都度「福の種まこうよ」と受けます。

7.見廻り 田主が踏鋤(フミスキ)を肩に担いで「見廻って候へばつばめになって候」「見廻って候へばさら竹になって候」と口上し、その都度拝殿を一周します。

8.早乙女招き 田主が扇を右手に持って立ち「見廻って候へば取り時になって候、早乙女をしょうじ申して候」「東の国より八百人、西の国より八百人、南の国より八百人、北の国より八百人、合せて三千二百人の早乙女をしょうじ申して候」と口上します。

9.田植え 早乙女5人が一人ずつ苗を持って神前に供えます。この間に田主と地方の謡いがあります。

田主「唐より渡る節黒の稲は」、地方「稲三把によね八石」、田主「若菖蒲を帯にしたれば」、地方「帯くつろく うなじなまめく」、田主「大かろじをふたつならべて」、地方「いづれとにやう」、田主「顔よしとによう」

御田植の行事が終わると、早乙女・地方の手により拝殿から豆撒きが行われます。

 

    お渡り(神職・笹竹)                 お渡り(牛童・田主・早乙女)

 

水口祭                                 鍬初め

 

  牛使い                               エブリ使い

 

肥使い                                 種蒔き

 

   見廻り                               早乙女招き

    

田植え                                豆撒き

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