【祭礼日】1月14日(旧暦)
【場 所】浄見原神社(国栖1番)
【日 程】13:00~13:50
古事記の品陀和気命(ホンダワケノミコト)(応神天皇)の条と日本書紀の応神記で、応神天皇の19年冬10月朔日、天皇が吉野の宮に行幸されたとき、国栖(クズ)人が来て、醴酒(コサケ)、土毛(クニツモノ)を捧げて歌舞を奏して天皇を慰めたと記しています。これが国栖奏の始まりといいます。
浄見原(キヨミガハラ)神社の神前には、毛瀰(モミ)(赤蛙)・土毛(根芹)・腹赤魚(うぐい)・醴酒(一夜酒)・山果(栗)5種の神饌が供えられています。吉野郡吉野町
狩衣(カリギヌ)・烏帽子姿の舞翁2人・笛翁4人・鼓翁1人・歌翁5人の12人が、参進の笛を奏でながら舞殿へ進み、笛や鼓などの楽器を神前に供えて着座します。
祝詞奏上に続いて一歌二歌を全員で謡います。次に神饌台から楽器を下げて笛に合わせて三歌を歌います。
次に右手に鈴、左手に榊を持った二人の舞翁が舞います。歌翁の一人が「正月」と声を出すと他の歌翁が「エンエイ」と唱和し、舞翁は鈴を振りながら舞い左に120度まわります。このとき笛と鼓も奏します。左回りに4回まわりながら正月から12月まで、同じ所作を12回繰り返します。エンエイは遠栄の意味だといいます。
次に四歌を歌い、四歌の最後に右手を口元にあてて上体を反らしてから礼拝します。この所作は、日本書紀に記されている「国栖人が歌い終わった後、手で口を打ち、空を仰いで笑った」さまを表しています。
最後に氏子と奉賛者の名前を読み上げる御巡楽(ゴジュンラク)があります。名前が読み上げられるたびに歌翁が「エンエイ」と唱和し鈴と鼓が打たれます。
行事が全て終わると、神前に供えていた5種の神饌が神職の手により参道に並べられました。粋な計らいですね。早速カメラに収めました。
<国栖奏の歌>
一歌 世にいでば 腹赤の魚の片割れも 国栖の翁が 淵にすむ月
二歌 み吉野に 国栖の翁がなかりせば 腹赤の御贄(ミニエ) 誰れか捧げむ
三歌 鈴の音に 白木の笛の音するは 国栖の翁の 参るものかは
四歌 橿(カシ)の生(フ)に 横臼(ヨクス)を作り 横臼に醸(カ)める 大御酒(オオミキ) 甘(ウマ)らに聞こし持ち食(オ)せ まろが親(チ) (四歌は国栖人が応神天皇に捧げた歌)
浄見原神社 祝詞奏上
楽器を下げる 笛 翁
翁 舞
空を仰いで笑う 御巡楽
神 饌 毛瀰(赤蛙)
土毛(根芹) 腹赤魚(うぐい)
醴酒(一夜酒) 山果(栗)