田中の三番叟・姫三社の舞・徳若万歳(鈴鹿神社)

【祭礼日】10月最終日曜日(5年毎=2023年)
【場 所】鈴鹿神社(舞鶴市田中453)

【日 程】13:00(神事)、14:00~14:45(三番叟・姫三社の舞・徳若万歳)、15:00~15:15(天女舞・あめつちの舞)、15:20~15:30(鈴鹿神社・阿良須神社の太鼓屋台囃子共演)

「田中の三番叟(サンバソウ)・姫三社(ヒメサンシャ)の舞・徳若万歳(トクワカマンザイ)」は、5年毎に鈴鹿神社の例祭で奉納されます。古くから奉納されてきましたが近年中断し、「三番叟(式三番)」と「徳若万歳」は昭和49年(1974年)に17年ぶりに、「姫三社の舞」は平成元年(1989年)に32年ぶりに復活したのだそうです。

祭り当日、JR東舞鶴駅に着く頃から激しい雨に見舞われましたが、鈴鹿神社の最寄りバス停から神社に向かう頃には小降りになりました。11時半頃神社に着くと、舞が行われる仮設舞台には雨除けのブルーシートが敷かれています。

この雨の中でも、子供神輿と太鼓屋台の巡行は行われていると神社受付の方にお聞きしたので、神社の100mほど西にある田中中集会所で巡行を終えたばかりだという子供神輿とその世話役の方に出会いました。更に西に向かうと老人ホーム「ココガーデン」前で、囃子を披露し終えたばかりの太鼓屋台の一行に出合いました。

【太鼓屋台】神社境内の掲示板によれば、太鼓屋台は「境内で育った欅の古木で平成15年(2003年)に新調したもの」だそうです。生憎の雨で太鼓屋台の屋根には厚手のシートが被せられています。屋台の後部中央に大太鼓1台、その両脇に締め太鼓2台が据えられています。

大太鼓は、背に鷹と虎を描いた空色の長着姿に白の襷を掛ける2人が交代で打ちます。締め太鼓打ち2人・拍子木打ち2人・笛吹き7~8人は、裾から斜め上に鎖模様が描かれた長着姿に黒と黄の斜め縞模様の角帯を締めています。

再び降り始めた雨の中、太鼓屋台は東に向かい鈴鹿神社の脇を通って200mほど東にある田中東公会堂で休憩します。公会堂では三番叟・姫三社の舞・徳若万歳の役者が待機しています。

時間になると、三叉槍を付けた赤い幟と鈴鹿大明神の幟を先頭にして、三番叟・姫三社の舞・徳若万歳の役者、太鼓屋台の順で、田中東公会堂から鈴鹿神社に練り込みます。この頃になると雨はやんでいます。太鼓屋台が境内に入ると法被姿の子供たちが並んで順番に大太鼓を打ちます。境内には子供神輿も運ばれ、ポン菓子やワタアメが子供たちに振る舞われています。

13時過ぎから例祭神事が斎行された後、14時から仮設舞台で三番叟・姫三社の舞・徳若万歳が奉納されます。舞手は小学3年生~中学3年生で、9月から2ヶ月間、週3回練習を重ねてきたそうです。

【三番叟】三番叟は「式三番(シキサンバ)」で、「一番叟(千歳(センザイ)の舞)」「二番叟(翁の舞)」「三番叟(扇の舞)・(鈴の舞)」の順で舞われます。鼓・太鼓・拍子木・謡(ウタイ)は御簾の中で囃され、外からは見えません。役者の出入りも御簾を巻き上げて行われます。

舞の最中に、演技の邪魔をしないように沢山のおひねりが舞台の端にそっと置かれ、演目が終わるたびに白手袋をした礼装の世話役がおひねりを角盆に納めて回ります。

一番叟(千歳の舞):一人舞。山吹茶色の直垂(ヒタタレ)・青紫色の袴姿に侍(サムライ)烏帽子を被る1人が、翁面が入る大きな黒い箱を持って登場します。口上を述べ箱を足元に置くと、右手に銀杏形の金色の扇を持って舞います。 その後、箱を持って御簾の中に退きます。

二番叟(翁の舞):一人舞。山吹茶色の狩衣(カリギヌ)・草花模様を描いた萩色の袴姿に、翁掛けした立(タテ)烏帽子を被り翁の面を着け、右手に扇を持って舞います。翁の面は、江戸末期から伝承されているものだそうです。

三番叟(扇の舞):一人舞。空色の直垂・袴姿に剣先烏帽子を被り、右手に日の丸扇を持って舞います。

三番叟(鈴の舞):一人舞。舞手が替わり、扇の舞と同じ衣装で黒尉(コクジョウ)の面を着け左手に黒の扇を持つ1人が、鈴を持つ千載とともに登場します。黒尉と千歳は問答を交わし、千歳は鈴を黒尉に手渡すと御簾の中に退き、黒尉は扇と鈴を持って舞います。

【姫三社の舞】三人舞。袖に鶴などの絵を描いた黒の着物・真紅(シンク)の袴姿に、右手に檜扇(ヒオウギ)を持ち左手に御幣を持って舞います。中央の1人は天冠を被っています。舞の後半で苗植えをし、扇と御幣を揃えて天に向けるような所作があります。

【徳若万歳】二人舞。袖に松枝、背に鶴を描いた白の直垂・花色の軽衫(カルサン)姿に侍烏帽子を被り、最初は鼓と扇を持って舞い、次に鼓を置いて扇だけを持って舞い、最後は何も持たずに舞います。御簾の中にいる地方(ジカタ)の謡に合わせて舞っているようです。

徳若万歳が終わると、鈴鹿神社から1Kmほど東にある阿良須(アラス)神社の太鼓屋台の一行と舞姫5人が境内に入ってきます。準備が整うと、阿良須神社の舞姫が舞台で「天女舞」と「あめつちの舞」を奉納します。

【天女舞】四人舞。千早(チハヤ)を着け天冠を被る巫女姿の4人が、右手に檜扇を左手に紙垂(シデ)を付けた榊を持って舞います。舞台右手側には白の小袖・緋袴姿の2人が座り、1人は平太鼓を打ち、他の1人は古歌を歌います。(次のあめつちの舞でも平太鼓を打ち古歌を歌います)

【あめつちの舞】一人舞。天女を思わせる白の衣装で、最初、五色の緒が付いた鈴を持って舞います。舞台左後方には、茶の長着に黒の羽織を着け顔を白布で覆う1人が、正座して槍を垂直に立てています。次に、舞姫はこの槍を受け取り手に持って舞います。

【太鼓屋台の囃子共演】阿良須神社の舞が終わると、鈴鹿神社・阿良須神社両方の屋台太鼓の囃子が一斉に奏されます。

阿良須神社の囃子は大太鼓1台・締め太鼓1台・拍子木2人・手平鉦(テヒラガネ)2人・笛約10人で、笛方は長着姿に黄の襷を掛け、牡丹の造花を付けた折編み笠を被っています。その他の囃子方は黒の長袖シャツ・股引姿に色とりどりの法被を着け、黄や赤の襷を掛けねじり鉢巻きを締めています。法被の色・柄などはそれぞれ地区ごとに異なるようです。

阿良須神社の囃子方の一人に、鈴鹿神社の太鼓屋台と一緒に囃して間違ったりしないのかとお聞きすると、両神社の囃子は「大浦」から伝習されリズムが同じなので問題なく共演できるとのことでした。大浦とは、河辺(カワベ)八幡神社・平(タイラ)八幡神社のどちらなのか聞きそびれました。

太鼓屋台の囃子共演が終わると、両神社の奉仕者合計約60人は神社前の階段で合同記念写真を撮り、阿良須神社の一行は傘鉾を先頭にして小倉(オグラ)町に戻ります。

阿良須神社の氏子域は5地区に分かれ年交代で祭事を務めていて、このうち上田中地区の当番年に天女舞・あめつちの舞が奉納されます。鈴鹿神社ではこの年に合わせて三番叟・姫三社の舞・徳若万歳が奉納されます。(鈴鹿神社は、11月3日の例祭日をこの年だけ阿良須神社の例祭日である10月最終日曜日に変更しています)

この日、阿良須神社では13時から例祭行事が行われ、これが終わると鈴鹿神社に赴き、天女舞・あめつちの舞を奉納、太鼓屋台の囃子を共演することになっているのだそうです。

司会者が最後の挨拶で「田中は東と西に分かれていますが、田中は一つです。」と言われたのが印象的でした。東は小倉町上田中、西は田中町を指しているものと思われます。

 

役者と太鼓屋台の練り込み                                      練り込み(役者)      

 

練り込み(太鼓屋台)                                       練り込み(囃子方)

 

役者一同で記念撮影                                            子供神輿        

 

一番叟(千歳の舞)                                        二番叟(翁の舞)

 

三番叟(扇の舞)

 

三番叟(鈴の舞)

 

姫三社の舞

 

徳若万歳

 

      天女舞                                                   太鼓打ちと歌方

 

あめつちの舞

 

阿良須神社の太鼓屋台と囃子方

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