大住の隼人舞(月読神社・天津神社)

【祭礼日】10月14日
【場 所】月読神社(京田辺市大住池平31)・天津神社(京田辺市大住岡村62)

【日 程】18:30~19:00(天津神社)、19:30~20:00(月読神社)

「大住(オオスミ)の隼人(ハヤト)舞」は、飛鳥時代後期(7世紀)に南九州の大隅(オオスミ)から当地に移住してきた隼人族が、朝廷に仕え宮廷で演じたとされる古代芸能を、鹿児島県祁答院町(ケドウインチョウ)(現薩摩川内市)の日枝神社に伝わる隼人舞をモデルに、昭和46年(1971年)に復活させたものです。

演目は、「お祓いの舞」「神招(カミオギ)の舞」「振剣(フリツルギ)の舞」「盾伏(タテフセ)の舞」「弓の舞」「松明の舞」の6曲で、大住中学校の男子生徒が踊り子となり2人1組で舞います。

囃子は龍笛(リュウテキ)と大太鼓で、龍笛は大住中学校の女子生徒など10数人が吹き、太鼓は踊り子が交代して打ちます。

最初は、天津(アマツ)神社の境内に敷かれた茣蓙の上で舞い、次に、場所を移して1Kmほど西にある月読(ツキヨミ)神社の境内に設けられた特設舞台で舞います。いずれも6曲続けて30分ほど舞います。

月読神社の特設舞台は10m四方ほどの広さで、舞台の四隅に立てられた斎竹(イミダケ)には注連縄が張り巡らされ、舞台正面には神饌が置かれ、その前に立てられた大竹には天蓋が吊るされています。天蓋は五色の紙垂(シデ)で飾られ、その中央からは五色の長い布が垂れ下がっています。

【お祓いの舞】舞庭の穢れを祓い清める舞で、狩衣(カリギヌ)・指貫(サシヌキ)袴姿に立烏帽子(タテエボシ)を被り五色の御幣を両手に持って舞います。

【神招の舞】祓い清めた舞庭に月読大神・天津神・国津神を招く舞いで、お祓いの舞と同じ衣装で大宝柱に結ばれた宝綱を左手に持って舞い、次に、右手に扇を持って舞います。

【振剣の舞】諸々の穢れや悪霊を剣で祓い隼人の勇ましさを誇示する舞です。踊り手は古代衣装に変わり、筒袖の衣に倭文布(シヅリ)の帯を締め、ゆったりとした褌(ハカマ)に足結(アユイ)を施し、頭に金の鬘帯(カズラオビ)を着け皮履(カワグツ)を履き、右手に剣を左手に鈴を持って舞います。以下の舞も同じ衣装です。

月読神社の特設舞台で舞っている際、この頃から雨が降り始めましたが、舞台は大型のテントに覆われているのでそのまま舞は続けられます。

【盾伏の舞】盾を持って悪霊の侵入を防ぎ神々と人を守る舞で、赤・白・黒の渦巻き紋様が描かれた楯を持って舞います。

【弓の舞】狩で使う弓での豊猟祈願の舞で、弓矢を持って舞います。

【松明の舞】八百万の神々に感謝を表す舞で、会場の照明を落とした暗がりの中で両手に松明を持って舞います。

舞庭を縦横無尽に動き蹴り上げる動作が多い隼人舞ですが、これは「日本書紀神代下」第十段一書(四)-4にある次の記述を表わしているといわれています。

『兄知弟德、欲自伏辜、而弟有慍色、不與共言。兄著犢鼻、以赭塗掌塗面、告其弟曰「吾汚身如此、永爲汝俳優者。」乃舉足踏行、學其溺苦之狀、初潮漬足時則爲足占、至膝時則舉足、至股時則走廻、至腰時則捫腰、至腋時則置手於胸、至頸時則舉手飄掌。自爾及今、曾無廢絶。』

すなわち、『兄(海幸彦=火酢芹命(ホノセリノミコト))は、弟(山幸彦=彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)に徳(不思議な力)があると知って、自分から従いたいと思いました。ところが弟はそれでもまだ怒っていて口を聞いてくれません。そこで兄は著犢鼻(タフサギ=上半身裸のふんどし一丁)になって、赭(ソホニ=赤土)を手や顔に塗って弟に言いました。「私はこのように体を汚しました。永遠にあなたの俳優者(ワザオサヒト)になります」

それで足を挙げてバタバタとさせ、その溺れ苦しむ様子を演じました。初め潮水が足に浸かったときに足占(アシウラ)をするようにします。潮水が膝まできたときは足を挙げ、股に至る時は走り回り、腰に至ったときは腰を撫で、脇に至ったときは手を胸に置き、首に至ったときは手を挙げて飄掌(タヒロカス=ヒラヒラ)させました。それから今日まで、この舞は絶えず続いています。』

また、「日本書紀神代下」第十段一書(二)-3には、『火酢芹命苗裔、諸隼人等』、すなわち、『もろもろの隼人らは火酢芹命(海幸彦)の末裔である』と記述されています。

釣鉤(釣り針)をめぐる海幸山幸の物語の中に隼人舞の起源があったことがわかります。海幸山幸の物語は、天孫族と隼人族の争いを反映したものといわれています。

山幸彦の彦火火出見尊と海神の娘・豊玉姫(トヨタマヒメ)の間に生まれた彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)が、叔母(豊玉姫の妹)の玉依姫(タマヨリヒメ)を妃として二人の間に生まれた神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレノヒコノミコト)が後の神武天皇です。つまり神武天皇は山幸彦の孫にあたることになります。

 

 龍笛の奏者(天津神社)                    お祓いの舞(天津神社)

 

 神招の舞(天津神社)                      振剣の舞(天津神社)

 

盾伏の舞(天津神社)                      弓の舞(天津神社)

 

 松明の舞(天津神社)                     神招の舞(月読神社)

 

  弓の舞(月読神社)                       松明の舞(月読神社)

祭りの栞(トップ)

 

inserted by FC2 system