重陽神事・烏相撲(上賀茂神社)

【祭礼日】9月9日
【場 所】上賀茂神社(京都市北区上賀茂本山339)

【日 程】10:00(本殿祭=本殿)、11:00~11:40(烏相撲=細殿南庭)

重陽(チョウヨウ)とは旧暦九月九日のことで陽数の最大の数である九が重なるという意味です。「重陽の節句」は五節句の一つですが、古来よりこの日に菊酒を飲み、菊の花についた露で肌を拭ったりして厄災を祓う重陽の神事が行われてきました。

上賀茂神社ではこの日、本殿に菊花を供え無病息災を祈願し重陽神事の祭典が行われ、引き続いて細殿前庭(ホソドノゼンテイ)で烏相撲が行われます。

上賀茂神社の御祭神・賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)の外祖父・賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト))が神武天皇東征に際し、八咫烏(ヤタガラス)となって神武天皇を先導したという故事に因んで、上賀茂神社氏子域内の児童による烏相撲が奉納されます。

平安時代には歴代の皇女が「斎王」として烏相撲を陪覧されていましたが、斎院制度が絶えた現在、平成3年(1991年)から下鴨神社と上賀茂神社による「葵祭」の「斎王代」が観覧することになったそうです。斎王代は、葵祭の行列の中心となる存在で市内の未婚の女性から選ばれます。

烏相撲では、神事を終え平安装束に身を包んだ斎王代が細殿中央に着座し、宮司・権宮司が一段下の両脇に分かれて着座します。

次に、下帯姿の児童20人が入場し、土俵の西と東に10人ずつ分かれて座ります。細殿に向かって左が西の禰宜方(ネギカタ)、右が東の祝方(ホウリカタ))になります。

次に、禰宜代と祝方代がそれぞれ我が方が勝つようにと、笏(シャク)で土俵いっぱいに8の字をなぞるように描く「地取(じどり)」を行います。

次に、神職が土俵の中央から細殿に向かって、相撲をとる児童の名簿「差符(サシフ)」を読み上げます。次に、神職から斎王代に差符が渡され、斎王代がこれを披見します。

次に、白張(ハクチョウ)姿に烏帽子を被った刀禰(トネ)2人が、西と東の幄舎(アクシャ)からそれぞれピョンピョンと烏が躍るように横飛び3歩を3回行って、弓矢・太刀・扇と円座の順で一つずつ立砂(タテズナ)に立てかけ、扇と円座は立砂の前に置きます。

次に、円座に座った刀禰2人が扇をあおぎながら、初めに禰宜方、次に祝方が交互に「カーカーカー」、「コーコーコー」と烏のように鳴き、これを三々九度行います。烏の鳴きまねが終わると、弓矢・太刀・扇と円座を持って横飛びしながら西と東の幄舎に戻ります。

次に、行司2人がそれぞれ西と東の児童を引き連れて立砂を三周します。

最後に、児童が相撲をとります。取組みは西・東から1人ずつが出て十番をとり、次に、三人抜き・五人抜きの勝ち抜き戦になります。

児童の相撲が終わると、無病息災を願い菊の花びらを浮かべた盃により菊酒が振る舞われます。

 

本殿に参進する神職                             斎王代    

 

     刀禰2人                            禰宜代が地取りする

 

神職が差符を読み上げる                    斎王代が差符を披見する

 

刀禰2人が横飛びする                       祝方が烏鳴きする

 

禰宜方が立砂を三周する                       児童が相撲をとる    

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