大幣神事(県神社)

【祭礼日】6月8日
【場 所】県神社(宇治市宇治蓮華72)

【日 程】10:00~12:00

県(アガタ)神社の「大幣(タイヘイ)神事」は平安時代から今日まで続く「道饗祭(ミチアエノマツリ)」で、道で神を祀って諸々の災禍や疫病が土地に入らぬことを祈る神事です。この神事の祭神は「八衢比古(ヤチマタヒコ)」・「八衢比売(ヤチマタヒメ)」・「久那斗神(クナトノカミ)」の三柱で、いずれも道の四辻や分岐点等を護り、悪霊を退け災厄を防ぐ神様です。

式典は県神社前にある大幣殿で行われます。神饌が置かれる八足台には御神酒・白米・塩・角餅・果物などの他に特殊神饌の梅実と和布(ワカメ)が置かれています。梅実と和布は疫病除けの効があると伝えられています。

大幣殿で祝詞奏上・玉串奉奠などの神事が行われた後、参列者に御神酒・角餅とともに梅実と和布が授与され参列者はこれを食します。その後、八足台の奥に置いてあった「大幣」が運び出されます。

大幣は、11本の角材を格子状に組んだ木枠のそれぞれの桟から無数の紙垂(シデ)を垂らし、この木枠の上辺と長さ4mほどの主柱を白の布で三角に結び木枠を主柱に固定させます。さらに主柱の上部から長さ3mほどの竹3本を扇形に3方向に伸ばし、それぞれの竹に松の枝と先端に黄色の傘を飾り付けます。

長さ3mほどの竹3本には、それぞれ補強のための角材が結わえ付けてあります。この竹と角材を合体させた3本のうち、外側の2本の下部には大幣を持ち上げるための青竹が縛り付けてあります。大幣の根元から黄の傘までの全長は6mにもなります。

準備が整うと、幟・猿田彦・風流傘・裃供奉(グブ)・子供供奉・大幣・神職・騎馬神人などが行列を組んで、県(アガタ)通り・宇治橋通り・本町通りの順で進みます。猿田彦は大榊の枝に天狗面が付いたものです。

大幣は12人の幣差(ヘイサシ)が5人ずつ交代で持ちます。1人が主柱の根元を持ち後ろ向きに進みながら大幣の梶をとり、紙垂を垂らした木枠を2人が持ち上げ、外側の青竹2本を2人が持ち上げて進みます。幣差は、尻端折りした白の長着・短パン姿に白の鉢巻を締め白の地下足袋を履いています。

子供供奉9人の衣装は裃・狩衣(カリギヌ)・素襖(スオウ)姿と様々ですが、先頭の2人は剣鉾を持ち、次の1人は特異な形状の杓鉾(シャクホコ)を持っています。杓鉾は、縁を向き合わせた二つの丸い笊の間に左右から3本ずつ木の柄杓(ヒシャク)を差したもので、これに持ち手用の長さ2mほどの竹が付いています。雨乞いの祭具だそうです。

巡行では、最初に宇治橋袂で祭壇を設け宮司が祝詞を奏上し、幣差は通りの辻々で大幣の根元を地面に打ち付けて災厄を祓います。大幣神事の一行は、町を巡行して大幣に災厄を集め宇治神社御旅所に着きます。

大幣が御旅所に着くと「馬馳(マバセ)の儀」と呼ばれる神事が行われます。白の狩衣姿に白の足袋を履き、沢山の紙垂を付けた笠を被る騎馬神人が、白馬に乗り御旅所の西側の「一の坂」と呼ばれる坂道を四往復し災厄を祓います。不思議な光景です。

この後、大幣神事の一行は大幣殿前に戻り直ちに幣を大地に打ちつけ壊し、幣差が2本の綱で幣を曳き摺り県通りを宇治橋まで一気に駆け抜けます。後ろからは白馬に乗った騎馬神人が追いかけてきます。

町の災厄を集めた大幣は、幣差の手によって宇治橋の欄干の上から宇治川に投げ込まれます。これを見届けた騎馬神人は直ちに大幣殿に引き返し、幣差大幣殿に引き返し大幣神事は終わります。

 

    神 饌                               神事(大幣殿)

 

神饌の和布と梅実を食す 

 

 猿田彦と風流傘                          子供供奉と杓矛

 

祝詞奏上(宇治橋袂)                         大幣(県通り)

 

大幣(宇治神社御旅所前)                        騎馬神人     

 

  宇治橋に向かう幣差                      宇治橋から流された大幣

 

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