田原の御田(多治神社)

【祭礼日】5月3日
【場 所】多治神社(南丹市日吉町田原(タワラ)宮ノ前1)

【日 程】10:30~12:00

多治神社は、奈良時代の慶雲年間(704~708年)に天智天皇の第七皇子・志貴皇子(シキノミコ)による創建と伝えられる古社で、「式内社」(延長5年(927年)に纏められた「延喜式神名帳」に記載された神社)でもあります。

多治神社で行われる「田原の御田」は、鎌倉時代より続く豊作を願う宮座の神事芸能で、左右の座から出た頭人が作太郎・作次郎という立人(タチウド)になり二人の対話で次第がすすめられます。

拝殿の本殿側に置かれた八足台(ハッソクダ)には、牛綱・暦の本・米・煎り豆・アラレをそれぞれ盛った三方(サンボウ)が載せられ、本殿に向かって右側に立人2人・牛役1人・早乙女4人が、左側に歌方15人が向かい合って座ります。

歌方の列の前には弓張提灯が6ヶ並べ置かれています。かつて御田の行事が5月4日の夜に行われていた名残だそうです。行事が行われる拝殿の屋根には菖蒲の束が投げ上げてあります。

【式次第】1.日柄改め、2.籾種揃え、3.池さらえ、4.種漬け、5、種上げ、6.苗代つくり、7.種蒔き、8.鳥追い、9.牛買い、10.田すき、11.苗取り、12.田植え、13.見回り、14.刈り入れ、15.刈り終い

「籾種揃え」から稲刈りまでの一連の農作業が事細かく、且つ狂言風の演出が施され面白おかしく演ぜられるのが特徴です。

「日柄改め」では、暦の本を取り出して作業開始の日を決める相談をします。「老齢のせいで暦が読みにくくなった」などと言い合いますが、即興的なセリフも入ったりします。

籾種揃えから「種上げ」では、「池さらえ」をして二つの俵に入った籾種を7~10日間水に漬け、籾種の発芽の出来具合を調べる所作をします。

「鳥追い」では、立人の一人が水玉模様の手拭いを「姉さん被り」して姑になり、糸繰り車を転がしながら「セーポーポーポー」と声を出して鳥を追い、呼びに来た嫁に気づかず「うちの嫁女のお面の悪(ニ)くさ」などと嫁の悪口を言います。

「牛買い」では、紺絣の着物姿で頭に牛の角を模した2本の菖蒲を付けた小学生の牛役を前にして、牛買いが20両の牛を値切りながら逆に25両で買って喜ぶやり取りを立人の2人が軽妙に演じます。

「田すき」では、両手両足に草鞋を履き四つん這いになった牛役が、立人の一人が持つ唐鋤を引っ張り祭場を周回し田を鋤く所作を演じ暴れたりします。

「田植」では、紺絣の着物姿に蹴出しを見せ、赤の帯・赤の襷・青の手甲脚絆を着け、折編み笠を被り草鞋を履く早乙女4人が、稲苗に見立てる菖蒲を両手に持って、歌方の田植歌に合わせて後ずさりしながら田植の所作をします。

田植は昼休みを挟んで朝の田植と午後の田植の2回に分けて行われます。昼休みでは、立人の2人が昼食に見立てたアラレ・煎り豆を早乙女に配ります。

「刈り入れ」では、立人の2人が菖蒲を稲束に、扇子を鎌に見立てて稲刈りの所作をし、「刈り終い」では、刈り取った稲束を干すため「ハザ」に掛ける所作をします。

狂言を取り入れた御田植の行事は、静岡県三島市の三嶋神社・同袋井市の法多山北谷寺でも行われています。

<朝の田植歌>

今朝の日はよーんれ 今朝の日はよーんれ 

黄金にまさるまた 朝日かなよーんれ 

播磨の南の 播磨の南の 

笹おい茂るまた そうや笹を刈らんか 

櫓櫂あげ帆をあげて 風を待つはよーんれ 

早乙女衆はよーんれ 早乙女衆はよーんれ 

ひるまを待ちやるまた ふのどはよーんれ

<午後の田植歌>

つばくろが巣をかけたよ いまはこの稲に 

七穂に八舛 八穂に九舛 

日の暮のこがらすは 

このぬれいろは いろいろとなる 

あの日をごろじ 山の端にかかるは 

日も入るはのもいれ 日の出させたまえた

 

拝殿の屋根に投げ上げられた菖蒲                     神事(本殿)       

 

立人と歌方                                籾種揃え

 

池さらえ                                 種蒔き

 

鳥追い                                 牛買い

 

田すき                                 歌 方

 

 早乙女                                 朝の田植

 

  昼休み                               午後の田植

 

刈り入れ                               刈り終い

 

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