宮津祭(日吉・和貴宮神社)

【祭礼日】5月13~15日
【場 所】宮津市宮町1408(日吉神社)・宮津市宮本428(和貴宮神社)

【日 程】13日[宵々宮]午後から、神楽の年当番町が当番町内を巡行、14日[宵宮]終日、神楽・浮太鼓の年当番町が各神社の氏子域内を巡行、15日[本祭]は次の通り。

日吉神社日程=9:00(例祭・浦安の舞・太神楽奉納)、10:30(浮太鼓社参)、11:00(神幸祭)、11:20(神幸)、12:30(太神楽・浮太鼓奉納=御旅所)、14:00(神事・浦安の舞=御旅所)、20:30(還幸)

和貴宮(ワキノミヤ)神社日程=8:00(神楽社参)、8:30(浮太鼓社参)、10:30(本宮祭・還座祭)、11:50(神幸祭・神楽奉納)、12:00(神幸)、15:00(神事=御旅所)、19:30(還幸祭)、20:30(神楽奉納)、21:30(浮太鼓奉納)

「宮津祭」は江戸時代から続く祭りで、現在では旧宮津城下町西側の山王宮日吉神社と東側の和貴宮神社で同時並行して行われています。

宮津祭の歴史】宮津祭の起源となる「山王祭」の神輿神幸は、延宝2年(1674年)四月中の申(サル)の日に復興し、江戸中期の宮津藩主・青山侯の時代(1717~1758年)には山王祭は「宮津藩祭」として繰り広げられ、「神楽の後の行列に宮津藩より槍二十本・馬二匹が加わった」と記す記録があるそうです。

笠鉾の下で打つ「浮太鼓」は漁師町で始められ、浮太鼓を屋台に載せて町内を巡行する現在の形は寛政10年(1798年)より始められ、山王祭は明治の改暦により5月15日に行われるようになりました。

一方、文政10年(1827年)に、日吉神社と和貴宮神社の氏子区域が城下町の西堀川を境に東西に分かれるように改められ、これを機に始まった和貴宮神社の祭礼は9月11日に行われていましたが、第二次世界大戦後、日吉神社と和貴宮神社の祭礼は同じ5月15日に行われるようになりました。

今回は和貴宮神社の祭りを中心にして、日吉神社の祭りも一部見学しました。

両神社の氏子域は、西の日吉神社は8町(金屋谷・亀ヶ丘・袴・池ノ谷・松ヶ岡・浪花・日吉・漁師町・杉末)、東の和貴宮神社は5町(宮本・魚屋・万町・本町・新浜)となっています。

和貴宮神社の氏子5町は、5年に1回神楽と浮太鼓、5年に3回神輿の当番町になります。今年は、魚屋が神楽、宮本が浮太鼓、他の3町が神輿の当番町となっています。

和貴宮神社での本宮祭・神幸祭に先立ち、神楽と浮太鼓の一行が社参し境内でそれぞれ神楽と浮太鼓を奉納します。

神 楽】神楽は一人立ちと二人立ちの獅子舞で、神社では一人立ちの獅子2頭が、それぞれ右手に鈴を左手に御幣を持って「鈴の舞」を奉納します。神輿が神幸にでた後、各家の前で、右手の採り物を鈴・太刀・扇に持ち替えて舞います。時には4頭の獅子がそろって舞うこともあります。獅子の胴幕はいずれも紺色です。

獅子の舞手は、白の上衣に紺の袴を着けています。囃子方は、神楽屋台に据えられた大太鼓と締め太鼓を打つ1人と笛吹き数人です。いずれも白の上衣・紺の袴姿に赤の鉢巻を締め、だらり結びした赤の襷を掛けています。

浮太鼓】浮太鼓は屋台に載せられ、これを一人または二人で踊りながら華やかに打ちます。打ち手は、女性の長襦袢の上に白の長着を着け角帯を締め、青とピンクの2本の襷を掛け赤の鉢巻を締め白足袋を履いています。

浮太鼓は1ヶ所で7~8人が交替して打つので、打ち手の皆さんは一列に跪いて順番を待ちます。大人と同じ衣装(長襦袢はなし)に着飾った幼児も、大人に抱かれたりしながら楽し気に太鼓を打ちます。こちらも幼児ばかりの順番待ちの行列ができます。

日吉神社和貴宮神社での神楽・浮太鼓社参を見学した後、1Kmほど離れた日吉神社に行き例祭神事・浦安の舞・太神楽奉納・浮太鼓社参を見学しました。

日吉神社では神楽を「太神楽」と称しています。初めにピンクの直垂(ヒタタレ)・赤の裁着袴(タッツケバカマ)姿に小型の獅子頭を被った女児が、白の長着に角帯を締めた笛数人の囃子に合わせて「鈴の舞」を舞います。

次に緑の直垂・草色の裁着袴姿に小型の獅子頭を被った男児が「剣の舞」を舞います。最後に、胴幕が赤と草色の二人立ちの獅子2頭が「乱の舞」を舞います。

この後、神職・巫女・楽人などがそろって宮司家前に移り浮太鼓が奉納されます。ここでは江戸時代中期に記録される本来の傘鉾を立てた下での浮太鼓が演じられます。日吉神社で浮太鼓を奉仕するのは漁師町と決まっています。

昔のしきたり通りに、長さ3mほどの丸棒の真ん中に括り付けられ2人が担ぐ太鼓を打ちます。その傍らでは2本の青竹に括られた2台の締め太鼓を打つ2人がいます。太鼓の打ち手は、白の長着に角帯を締めだらり結びした赤の襷を掛け、鱗縞の赤の鉢巻を向こうしばりにし白足袋を履いています。

日吉神社の太神楽奉納と浮太鼓社参を見学した後、和貴宮神社に戻り神幸祭を見学しました。神幸祭が終わると浮太鼓による送り太鼓が打たれ神輿の神幸が始まります。

【神 輿】神輿の担ぎ手は、当番町の万町・本町・新浜の150人が50人ずつの3交代で行い、氏子域内を一日中担ぎ巡幸します。担ぎ手は、白の長着に黒の角帯を締め、神社名入りの白の鉢巻を向こうしばりし白足袋を履いています。神輿には先触れ太鼓が付き、日の丸扇を持つ数人が担ぎ手の動きを扇で指示します。

和貴宮神社の神輿神幸を見送った後、日吉神社・和貴宮神社共通の御旅所になっている宮津市役所前の広場に向かいました。

タイミング良く、御旅所での日吉神社の太神楽が始まったところです。神社での太神楽とは異なる舞で、赤の胴幕の獅子が囃子に合わせて大天狗と小天狗とともに舞います。大天狗は薄茶色の直垂・草色の裁着袴姿でササラを持ち、小天狗は黒の直垂・草色の裁着袴姿で緑の扇を持っています。

次に、屋台に載せられた浮太鼓を赤頭巾を被った二人が打ちます。二人とも「師匠」と書かれた青いリボンを角帯に付けています。屋台の後に据えられた締め太鼓2台は別の二人が打っています。次に、二人の巫女さんが浦安の舞を舞います。

この日は、10年ほど前に復活したという日吉神社の「万歳鉾」の子供歌舞伎を見学することは出来ませんでした。日吉神社への還御神輿の宮入りとともに注目したい行事です。やはり1日で日吉神社・和貴宮神社の両方を見るのは出来ないようです。

日吉神社の一行が去ると、入れ替わるように和貴宮神社の神輿が御旅所に到着し神事が行われます。

神事だけで終わってしまったので、和貴宮神社の神楽を町なかで見つけ各家の前での舞を3時間ほど見学し続け、浮太鼓の一行とは一度も会えないまま和貴宮神社に着きました。

【神楽・浮太鼓奉納】やがて神輿を担いだ一行が和貴宮神社に現れますが、神楽が先に宮入りし拝殿で、鈴と御幣を持つ二人立ちの獅子2頭がササラを持つ天狗とともに囃子に合わせて舞います。

次に、神輿を担ぐ一行が神社前で神輿を差し上げたまま三周し、神社への練り込みを何回も繰り返した後、宮入りします。

還幸祭の後、境内で1時間ほど神楽が奉納されます。昼間の神楽とは異なり天狗・獅子頭役が着ける衣装が煌びやかです。

最初に、金襴の狩衣(カリギヌ)・袴姿にササラを持つ天狗が二人立ちの獅子2頭と舞います。次に、赤の狩衣を着けた二人立ちの2頭の獅子が、右手に太刀を左手に御幣を持って舞います。

次に、二人立ちの獅子2頭が鈴と御幣を持って舞い、次に、一人立ちの獅子4頭が扇と御幣を持って舞い、次に、金襴の狩衣を着けた二人立ちの獅子2頭が鈴と御幣を持って舞います。

境内での神楽の奉納が終わると浮太鼓の奉納が始まります。着飾った数人の幼児の太鼓打ちの後、少年・大人が一人打ち・二人打ちで太鼓を打ちます。浮太鼓の屋台が奉納を終えて境内を出る時にはすでに23時を過ぎていました。今日は15時間ぶっ通しで祭りを見学していささか疲れました。

 

   神楽社参(和貴宮神社)                   浮太鼓社参(和貴宮神社)

 

  大神楽・剣の舞(日吉神社)                大神楽・乱の舞(日吉神社)

 

    浮太鼓社参(日吉神社)                浮太鼓社参(日吉神社宮司家前)

 

   神輿神幸(和貴宮神社)                  太神楽(日吉神社御旅所) 

 

   浮太鼓(日吉神社御旅所)                  浦安の舞(日吉神社御旅所)

 

神楽巡行(和貴宮神社)

 

神楽奉納(和貴宮神社)

 

  浮太鼓奉納(和貴宮神社)                 浮太鼓巡行(和貴宮神社)

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