【祭礼日】2月第三土曜日・日曜日
【場 所】涌出宮(木津川市山城町平尾里屋敷69-1)
【日 程】土曜日14:00(勧請縄奉納の儀)、19:30~21:00(門の儀・大松明の儀)、日曜日10:00(七度半の使い)、14:00~16:30(饗応の儀・御田の式)、深夜(御供炊き神事・四塚(ヨツツカ)神事)
涌出宮(ワキデノミヤ)は、正式には和伎座天乃夫岐賣(ワキニイマスアメノフキメ)神社といい、天平神護2年(766年)、伊勢国渡会(ワタライ)郡五十鈴川の舟ケ原から、天乃夫岐賣神を勧請したのが起こりとされています。
天乃夫岐賣命は天照大神(アマテラスオオミカミ)の御魂であるとされ、大神をこの地に勧請したところ一夜にして森が湧きだし四町八反余りが神域となったといわれ、古来より湧出宮と呼ばれる所以となっています。
涌出宮の居籠祭(イゴモリマツリ)は、旧棚倉村の宮座を中心にして営まれる一年の稲作の豊作を予祝する農耕儀礼で、3月の「女座(オナゴザ)の祭り」・9月の「アエの相撲」・10月の「百味(ヒャクミ)の御食(オンジキ)」とともに「涌出宮の宮座行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
近世まで居籠祭は旧暦1月二の午日から三日間行われていましたが、その後、新暦2月15日から17日までの三日間になり、2007年からは2月第三土曜日・日曜日の二日間に変更されました。
かつては居籠祭が行われる三日間は、全村挙げて物音を立てず居籠りを行い別火(ベッカ)を守るという厳しいものだったそうです。
【宮 座】現在旧棚倉村には、古川座・与力座・歩射(ビシャ)座・尾崎座・大(オオ)座・殿屋(トノヤ)座・岡之座・中村座の八つの宮座があり、居籠祭を営むのは古川座・与力座・歩射座・尾崎座の4座です。
その他の女座の祭り・アエの相撲・百味の御食は、大座・殿屋座・岡之座・中村座の4座が営みます。
古川座は耕田開発本家の宮里とみなされ、一日目の「門(カド)の儀」と二日目の「饗応(アエ)の儀」で歩射座・尾崎座とともに与力座の饗応を受けます。歩射座は一日目に、与力座とともに勧請縄を作り奉納します。
与力座は、古川座・歩射座・尾崎座の三座を接待し、神事全般にわたり準備を整え神事の進行を取り仕切ります。
今回は、二日目午後からの「饗応の儀」と「御田の式」を見学しました。いずれも拝殿で行われます。
【饗応の儀】本殿に向かって拝殿手前中央に古川座の3人、左右に歩射座・尾崎座が3人ずつ座ります。宮司の隣にもう1人座っておられますが与力座の一老かもしれません。
座衆10人は、いずれも紺の素襖(スオウ)姿に立烏帽子(タテエボシ)を翁(オキナ)掛けしています。「ソノイチ」と呼ばれる巫女と「トモ」、宮司と「ボウヨ」は、本殿側の左右に座ります。
ボウヨは、鶴の絵が描かれた桃色の狩衣(カリギヌ)姿に金の袴を着け白の真綿の帽子を被る男児です。トモは巫女姿に天冠を被る女児です。
緑の直垂(ヒタタレ)姿に立烏帽子を被る接待役のイタモト(板元)と給仕は本殿側の右脇に控えています。
最初に、宮司が本殿で祝詞を奏上した後、拝殿で大麻(オオヌサ)により参列者をお祓いします。次に、ソノイチが本殿で「えびす神楽」を舞い、拝殿で参列者を「鈴祓い」します。
次に、「手水(チョウズ)の儀」が行われます。給仕役の2人が、それぞれ高さ1.5mほどの大きな榊の枝を捧げ持って入り、古川座の一老・二老・三老と順に各座衆の前で片膝立ちになって榊の枝を立てます。
座衆は榊の葉を一枚とり細かくちぎって体にふりかけます。手水で身を清めたと同じことになるのだそうです。
次に、給仕の1人が盃と鰯1匹を載せた折敷(オシキ)と銀色の提子(ヒサゲ)を持って、古川座の一老から順に盃に御酒を注ぎ、座衆はこれを飲み一同が盃を交わします。宮司・ソノイチにも御酒が拝戴され、後ほど出される御膳も席前に置かれます。
次に、給仕の2人が折敷に載せた円錐台形の盛り飯の御供(ゴク)を各座衆の前に置き、樫の枝で作られた両口箸で盛り飯を取り座衆の掌に載せ、座衆はこれを食します。これを「手御供(テゴク)」といいます。
給仕は座衆に御酒を注いだり食べ物など配る際、座衆の前では片膝立ちに着座して行います。また、物を運ぶときは常に頭上に捧げ持って行います。
次に、給仕の2人が、それぞれ両手に朱塗りの小皿と盃を持ち、古川座の一老の前で向き合った給仕二人が、伏せた盃を表返しする所作を息を合わせて同時に行い、表返しした盃を座衆の前に置きます。
次に、給仕の2人が御酒を入れた長柄の金の銚子を各座衆の前で頭上高く掲げた後、座衆が手に持つ朱塗りの盃に御酒を注ぎ座衆はこれを飲みます。御酒といっても中は白湯なのだそうです。
次に、給仕の2人が、素焼きのカワラケに盛られた柿なます・かす汁・ごまめ(田作り)・大豆の4品と両口箸を載せた漆塗りの角盆を座衆の前に置き、続いて「京めし」を捧げ持って、座衆の角盆に追加して置きます。
京めしは扁平のおにぎりの上下をカワラケで挟んだもので、古川座の一老に配られた京めしだけは足付折敷に載せてあります。
次に、給仕の2人が、長柄の黒の銚子、朱の提子(ヒサゲ)と酒器を替えて、座衆の盃に御酒を注ぎ座衆はこれを飲みます。この時の盃は、柿なますが盛られたカワラケを使用します。
以上で饗応の儀が終わり、各座衆は盆の料理を持ち帰り用の半紙などに包みます。手水の儀が終わってから1時間半も経過しました。
【御田の式】拝殿に持ち込まれた長さ3mほどの木製の田舟の前後を二人のイタモトが右手で持ち上げ、舳先から延びる白の紐をボウヨが手に持ち、ボーヨが田舟を曳く形で拝殿内を三周します。
この時、田舟の前部を持つイタモトは、飯粒の御供を盛った樫の葉20枚ほどを入れた木の丸桶を左手に掲げています。また、別のイタモトが大太鼓を打ち鳴らします。
田舟の周回が終わると、座衆は青・紫などの風呂敷を席前に広げこの上に広げた扇を置きます。イタモトが先ほどの木の丸桶から、飯粒の御供を盛った樫の葉を取り出して一つずつ座衆の扇の上に置きます。
次に、左肩に鍬を担いだ宮司が、首から下げた竹籠に盛られた籾を一掴みずつ取り出し、座衆の扇に向けて落とします。籾は扇に当たりパラパラと音がします。
次に、田植えが始まります。イタモトから受け取った松苗をソノイチがトモとボウヨに分けて3人そろって田植えの所作をします。3人は湧出宮の印が押された白の紙で根元を巻いた松苗を後に下がりながら床に置きます。
田植えが終わると座衆に松苗が配られ、トモとボウヨは拝殿外の見物人に開放された窓越しに松苗を授与します。
次に、2枚の角盆に盛った玄米と白米をイタモトが、座衆の扇に向けて一掴みずつ落としていきます。
次に、別のイタモトが、「オカギ」と呼ばれる下端がカギ状になった枝を含めた榊の枝の束を座衆の扇の上に置いていきます。風呂敷の上は、飯粒の御供・籾・玄米・白米・松苗・オカギで覆われてしまいます。
最後に、再び手水の儀が行われ、宮司と与力座の一老の挨拶を以って饗応の儀が終わります。
この後、深夜に、樫の葉に盛った御供を与力座の若者2人が四塚(ヨツツカ)に納める「四塚神事」が行われますが、望見を許されない秘儀とされています。
参列者をお祓い ソノイチの鈴祓い
手水の儀 盛り飯の御供
盃を表返しする
御酒を戴く 御膳に京めしを置く
古川座一老の御膳 給仕が御酒を注ぐ
田舟を曳く 飯粒の御供を配る
飯粒の御供 籾を撒く
田植え(トモ・ソノイチ・ボウヨ)
田植え 玄米と白米を撒く
オカギを配る 松苗・オカギ・籾・玄米・白米