大矢田のヒンココ(大矢田神社)

【祭礼日】4月第二日曜日・11月23日
【場 所】大矢田神社(美濃市大矢田2596)

【日 程】11:30~12:00、14:00~14:30

「大矢田(オヤダ)のヒンココ」は、麦の種蒔きをしている農民を大蛇(オロチ)が襲いかかり次々に飲み込んでしまい、須佐之男命(スサノオノミコト)がこの大蛇を退治するという物語を演じる人形劇で、大矢田神社の例祭日である4月第二日曜日ともみじ祭りの11月23日に行われています。(神社境内の「楓谷ヤマモミジ樹林」は国の天然記念物に指定されています)

大矢田神社の社伝によれば、『第七代孝霊天皇の御世、山に住む大蛇が里人を悩ますため喪山(モヤマ)の神に祈願したところ大蛇を退治したので、里人は建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)と天若日子命(アメノワカヒコノミコト)を祀る祠を建てた』とあり、ヒンココの神事は大矢田神社創建の伝承に因んだもので、かつては毎年9月に行われていて、本来は秋の麦蒔き前の予祝芸能であったといわれます。

ヒンココに登場する人形は、須佐之男命と二役を演ずる祢宜殿(ネギドノ)1体・農民12体・大蛇1頭です。

祢宜殿は、白の上衣・紫の袴姿に四角錐の帽子を被り右手に御幣を持っています。須佐之男命役を演ずる時も衣装は変わりません。

農民は、草模様の青の上衣・縦縞の薄茶色の袴姿に、庄屋は軍配をその他の農民は鍬・肥料・種・弁当などを手に持ったり頭に載せたりしています。顔は茶の円筒形で大きな目と鼻が目立ちます。

祢宜殿・農民ともに、横1m・縦2mほどの竹を十文字に結び、これに頭と胴体となる竹籠二つを取り付け、頭となる籠には紙を貼り色を塗り、胴となる籠には衣装を着せたものです。大蛇は、竹籠に薄茶色の布を被せた頭・胴体2ヶ・尻尾の4ヶに分かれています。

舞処(マイド)は、神社から500mほど下った参道脇の山腹にあり白の幔幕が張られています。舞は参道から見物します。

舞は、祢宜殿による見物人の罪・穢れを祓う舞いで始まり、次に、農民が1人ずつ登場し全員が揃い麦蒔きを始めると大蛇が現れ、農民を1人ずつ飲み込みます。最後に、須佐之男命役になった禰宜殿が大蛇を退治します。

この間、笛・太鼓・鉦が囃されます。この囃子が「ヒンココ、チャイココ、チャイチャイホーイ」と聞こえるのでヒンココと名付けられたといわれます。

午後からの2回目の舞の時に、演技している舞台裏を見物しました。背に「四方木瓜(ヨモモッコウ)」紋が描かれた法被を着けた約20人が、人形や大蛇を取り付けた竹を両手に持って懸命に動かしています。四方木瓜紋は、禰宜殿が被る帽子と庄屋が持つ軍配にも描かれています。

この日は、「猩々姫と竜のからくりの舞」はなく、猩々姫の人形だけがヒンココ舞の人形とともに神楽殿前に飾られていました。猩々姫と竜のからくりの舞は、春の例祭日に稚児舞・獅子舞・ヒンココ舞とともに奉納されるようです。

 

 禰宜殿の舞                農民の麦蒔きの舞

 

 大蛇が農民を飲み込む            須佐之男命が大蛇と闘う

 

禰宜殿と農民                              猩々姫 

 

舞台裏の大蛇と農民

祭りの栞(トップ)

 

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