牧の掛踊り(明建神社)

【祭礼日】10月上旬の土・日曜日(不定期=2014)
【場 所】明建神社(郡上市大和町牧817-1)

【日 程】土9:00(神事=明建神社)、10:30(元兼八神社)、11:30(木蛇寺水神神社)、14:00(明建神社)、18:30(余興=三番叟他)
日10:00(三田白山神社)、11:30(三田八幡神社)、14:00(明建神社)

明建(ミョウケン)神社は、13世紀の初め承久(ジョウキュウ)の乱の功で、東胤行(トウタネユキ)が下総東荘(トウノショウ)から入治した時、千葉氏の氏神である妙見大菩薩を下総国から勧請し東氏の氏神としたのが始まりといわれ、妙見宮・妙見社と呼ばれていました。明治時代初期の神仏分離令
により明建神社に改称しましたが、現在も御神体は妙見大菩薩だそうです。

明建神社が東氏により創建されてから今年が700年にあたるのを慶祝し、21年振りに掛踊りが奉納されることになりました。牧の掛踊りは250余年の歴史があるそうです。今回は初日の土曜日の行事を見学しました。

明建神社で神事が行われた後、出花(ダシバナ)・警護2人・鬼・鉾3人・毛槍奴6人・薙刀振り6人・鋏箱奴2人・毛槍奴7人・陣笠2人(弓・鉄砲)・鉦打ち3人・太鼓打ち(シナイ)4人・オカメ・笛5人・田打ち13人の順で行列を組んで、鉦・太鼓・笛の囃しとともに元兼の八(ハチ)神社に向かいます。

八神社に次いで木蛇寺(モクジャジ)の水神(スイジン)神社で掛踊りを奉納します。どちらの神社も境内は狭いので、太鼓打ち4人を、奴・田打ち・薙刀振り・笛方などの演武者が二重の輪で囲み掛踊りが奉納されます。見物人はその外側から見ることになり、境内からまさに人が溢れていました。

太鼓打ちは、長さ4~5mあるシナイを背負い胸に太鼓を付け、白布を四つ折りにし両耳を立てて下へ垂らした鉢巻をしています。シナイは、地を這うようにしならせることはなく、4人の太鼓打ちが揃ってシナイを頭上高く、広げたり重ね合わせたりします。

槍奴は段だら模様の紺袢纏に股引をはき折編笠を被っています。鋏箱奴は半着・短パン姿に手甲・脚絆を付け、ねじり鉢巻をしています。槍奴・鋏箱奴とも顔を白く化粧しています。笛方と鉦打ちは羽織袴姿に一文字笠を被っています。

薙刀振りは、華やかな着物に襷掛けをし、赤・青・黄3色の帯を締め、手甲・脚絆を付け折編笠を被っています。田打ちの子供は、花笠を被り柄の短い鍬を持っています。

演武者の一行は昼食休憩を挟んで、明建神社の鳥居前から行列を組んで長い参道を経て神社境内に入ります。社殿前には巨大なテントが設営され2階席もあります。テントの高い天井には1000枚を超すであろうと思われる無数の祝儀披露紙が吊り下げられています。

ここでは中央でシナイを広げたり重ね合わせたりする太鼓打ちの4人を、一重の大きな輪になって演者が右周りに踊り、囃子を奏したっぷり1時間奉納します。

 

              毛槍奴                        太鼓打ち・鉦打ち

 

   田打ち                                   八神社 

 

水神神社

 

 薙刀振り                                     笛 方

 

明建神社

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