白樫踊り(白樫神社)

【祭礼日】9月15日に近い日曜日
【場 所】白樫神社(揖斐郡揖斐川町白樫132)

【日 程】14:30~15:45

「白樫(シラカシ)踊り」は、源氏の武士が戦いに出陣する際に士気を鼓舞するために、また源氏が平家に勝利したことを祝って踊ったのが始まりといわれています。

江戸時代に西美濃の日照りの時には幾度か、大垣藩主戸田家の命を受け雨乞い祈願の踊りを奉納すると雨が降り、その功績を称え踊りの際、戸田家の家紋・「九曜(クヨウ)紋」を使用することが許されたとされています。

祭礼継承のため、「白樫区白樫おどり保存会」が地元の小中学生に夏休みの期間に踊りを指導し、9月に入ると保存会員と小中学生が合同練習をします。

白樫踊りは、白樫公会堂~光蓮寺(コウレンジ)~白樫神社の順で奉納されます。光蓮寺は、白樫神社の合祀社の一つである八幡神社の御神体であった八幡大菩薩が、光蓮寺に遷され奉安されている縁があります。

祭礼当日午後、白樫公会堂で衣装を整え公会堂前の広場で、音頭取り2人を中心にして太鼓打ち8人・鉦打ち4人・拍子木2人・笛2人が大きな輪を作り、太鼓・鉦を打ちながら左回りで踊ります。笛は踊りの輪の外でも2人が吹きます。

音頭取りは、筒袖・袴姿に黄の襷・白の手甲を着け、花を付けた角笠(ツノガサ)を被り音頭棒を地に立てています。音頭棒は、先端に白の房を付けた長さ3mほどの竹の棒です。

太鼓打ちは、紗綾形(サヤガタ)文様の筒袖・黒や紫の裁着袴(タッツケバカマ)姿に黄の襷・白の手甲を着け、胸に太鼓を付け「シナイ」を背負い、花を付けた角笠を被り黒の地下足袋を履いています。太鼓には九曜紋を描いた布が付けてあります。

シナイは、紫・黄・赤・白・鶯色の5段に色分けした切紙で飾った長さ3mほどの割竹12本を扇状に束ねたもので、シナイの前部には御幣を付けています。太鼓打ちのうち3人は男児です。

鉦打ち・拍子木は、太鼓打ちと同じ衣装で太鼓の代わりに鉦・拍子木を持っています。天色(アマイロ)の法被姿の男児も鉦打ち・拍子木に加わっています。笛吹きは、浴衣姿に黄の襷を掛け、花を付けた編み笠を被っています。

公会堂での踊りが終わると、行列を組んで200mほど北にある光蓮寺に向かいます。光蓮寺の境内は狭いので、踊り手の人数を減らして踊りを奉納します。

次に、光蓮寺から300mほど西にある白樫神社で踊りを奉納します。境内が細長い形をしているので、輪にならず一列になって踊ります。

<踊り歌 白樫神社の歌>

東西に静まれ 歌おろそ

静めてくだされ 若い衆たち

氏神様へと 踊りきて

広き立毛を 見うければ

早稲が千上 いがれます

中稲が千上 かぶきます

晩稲が千上 穂先さす

早稲で桝付 してみたら

七十五束で 拾五石

これほど 米があるならば

桝はいらまい 箕ではかる

俵はいらまい 蔵へつむ

未を申せば 永けれど

御礼踊りを 一踊り

 

衣装を整える(公会堂前)

 

白樫踊り(公会堂前)

 

白樫踊り(公会堂前)

 

白樫踊り(光蓮寺)

 

白樫踊り(神社)

 

祭りの栞(トップ)

 

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