鉦打ち獅子舞(荒城神社)

【祭礼日】9月7日
【場 所】荒城神社(高山市国府町宮地1458)

【日 程】10:00(式典=神社)、11:30(鉦打ち・獅子舞=神社)、14:30(渡御出発)、16:00(鉦打ち・獅子舞=御旅所)、16:30(還御出発)、18:00(鉦打ち・獅子舞=神社)

荒城(アラキ)神社は、延長5年(927年)に纏められた「延喜式神明帳」に飛騨国八座の一座として記されている古社で、荒城郷の総社として崇敬されていました。

荒城神社の「鉦打ち獅子舞」について、明治6年(1874年)に完成した「斐太後風土記 巻之十一」には次のように記されています。

『祭禮は、古来例年八月朔日、本社より幣殿まで神輿を舁出、拂ひ清め、二日東門前八日町巡行、夕方神頭へ舁還しまつり、三日は宮地村、日面、日影氏子の宅巡行、夕方本社へ舁還し奉ぬ。氏子の若男は、祭二日とも神輿に附、神楽・獅子舞仕へまつり十三歳ばかりの童男は鶏毛冠をかぶり、鉦鼓を撃囃せり。是は建久年中、地頭職多好方の教へたる鶏闘楽の遺曲なりとぞ、古風なる式にこそあれ、凡て國中の他社の祭の鶏毛撃は、此荒城社祭のに、倣へるにこそ有め』

即ち、荒城神社の「鶏毛撃(トリゲウチ)」(鉦打ち)は、建久年中(1190~1199年)に地頭職の多好方(オオノヨシカタ)が教えた鶏闘楽の遺曲で、国中(飛騨)の他社の鶏毛撃は荒城神社の鶏毛撃を真似たものだといいます。

祓所(ハラエド)で式典参列者のお祓いをした後、本殿で例祭神事が行われその後、境内で鉦打ちと獅子舞が奉納されます。荒城神社の「鉦打ち獅子舞」は岐阜県の無形民俗文化財に指定されています。そのためでしょうか、平日の今日は、国府小学校の生徒30~40人が授業の一環として見学に来ています。

鉦打ちの踊り子は、背に鳳凰、裾に龍を染めた白地の着物・紺の裁着袴(タッツケバカマ)姿に、山鳥の尾の笠を被り黒足袋・草鞋を履く小中学生17~18人で、首から白の布で鉦や平太鼓を胸に吊るしています。

年長者の3人が直径30cmほどの平太鼓を打ち、他の踊り子は鉦を打ち、鉦打ちの年長者2人が「鉦大将」となります。大きな輪になって内側に向いたり外側に向いたりして、輪の外で奏される笛の音に合わせて飾りの付いた撞木で鉦を撥で平太鼓を打ちます。時間は3分ほどです。

鉦打ちが終わり踊り子がそのまま輪になって腰を下ろすと、その輪の中で獅子舞が奉納されます。囃子は、直径が50cmと1mほどもある二つの平太鼓と笛です。

獅子舞の最初は「マムシとり」で、二人立ちの獅子が地面に置かれたマムシと睨み合った後、マムシを咥えて舞います。次に、二人立ちの勇壮な「熊獅子」で、獅子頭は本物の熊の頭皮でできています。獅子舞は両方合わせて10分ほどです。

獅子舞が終わると、露払い・大榊・警護・神社旗・鉦打ち・獅子4頭・平太鼓・笛2人・巫女12人・氏子総代役員・神職など総勢100名余が行列を組んで御旅所に向かいます。

露払い2人は、青の素襖(スオウ)姿に侍烏帽子(サムライエボシ)を被り1人は手桶の神水を撒き、他の1人は塩を振ります。警護2人は、青の素襖姿に侍烏帽子を被り錫杖を持っています。氏子総代役員は、黒紋付羽織袴姿に一文字笠を被っています。御旅所は神社の1Kmほど西にある東門前公民館前の広場です。

御旅所でも神事の後、鉦打ちと獅子舞が奉納され、神社に還御すると再び、鉦打ちと獅子舞が奉納され荒城神社の例祭が終わります。

 

祓所でお祓い(神社)                        鉦打ち(神社) 

 

獅子舞・マムシとり(神社)                  獅子舞・熊獅子(神社)

 

鉦打ち(神社)                          御旅所へ渡御

 

御旅所へ渡御

 

鉦打ち(御旅所)

 

獅子舞・マムシとり(御旅所)                 獅子舞・熊獅子(御旅所)

 

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