七日祭(明建神社)

【祭礼日】8月7日
【場 所】明建神社(郡上市大和町牧817-1)

【日 程】12:30(式典)、13:15(渡御)、14:00~14:30(野祭り=神前の舞、杵振りの舞、獅子起しの舞)

明建(ミョウケン)神社は、鎌倉時代に承久の乱(1221年)の戦功によりこの地を与えられ篠脇(シノワキ)城主になった東胤行(トウタネユキ)が、下総国より入府した際に守護神の妙見菩薩を勧請し創建された神社で、「七日祭(ナヌカビマツリ)」も東氏によって伝えられたもので800年の歴史があるとされています。

七日祭は、神事・渡御・「野祭り」の三部構成になっていて、祭礼の奉仕者は宮座制で、神輿を担ぎ野祭りで「神前の舞」を舞う4人は旧落部(オチベ)村の氏子が奉仕することになっています。

【渡 御】拝殿で神事の後、渡御が行われます。裃姿に警護竹を持つ露払いを先頭にして、宮司・祝(ホウリ)・献幣使・弓取・神興・「拍子音頭とり」・「杵振り」・笛吹き・太鼓・猿田彦・獅子・「篠葉(ササノハ)踊子」の順で行列を組んで拝殿を三周した後、参道を真っ直ぐ300mほど下った「神帰り杉」まで進みます。

祝2人は、白の狩衣(カリギヌ)姿に立烏帽子(タテエボシ)を被り、宮司と共に大幣(オオヌサ)を1本ずつ捧げ持っています。神輿の担ぎ手・笛吹き・太鼓打ちは、白の狩衣姿に侍(サムライ)烏帽子を被り、猿田彦は、白の小袖・半纏・袴姿に白の髪・髭と鼻高面を着け白扇を手に持っています。獅子は4人立ちの獅子です。

篠葉踊子の男児8人は、青の法被姿に「竹はやし」と呼ばれる葉の付いた竹を持って獅子の両側に分かれて位置し、渡御中に拍子音頭とりが「カミノミウケンナル、タケノハヤシボーンボ」と唱えると、「サーンヨシボーボ」と唱和します。同時に、獅子は篠葉踊子が持つ竹はやしを噛む所作をします。

渡御行列は神帰り杉で折り返して同じ参道を通って神社に戻りますが、獅子は神帰り杉で向きを変えると暴れだし、篠葉踊子を追い回して竹はやしを噛み千切ろうとします。やがておとなしくなった獅子は篠葉踊子とともに神社に向かいます。

渡御行列は神社下の参道に戻ると休憩し、この間に参道に野祭りの舞い場として数十枚の筵が敷き詰められます。

【野祭り】奉仕者全員が所定の位置に座ると、朱の酒杯が奉仕者の膝元に置かれ濁酒(ドブロク)が振る舞われ、篠粽(ササチマキ)が配られ皆さんこれを拡げた扇子で受けます。

濁酒は、一週間前から白米と糀(コウジ)とで造られ、篠粽は、三日前から白米を木でつき粉にし篠の葉で包んだもので、いずれも宮司の手により作られたものです。

濁酒と篠粽が振る舞われた後、「神前の舞」「杵振りの舞」「獅子起こしの舞」の順で舞が奉納されます。

1.神前の舞 神輿を担いだ4人が拝殿に向かって横一列に正座し、それぞれの前に拡げた扇子を置きその上に「算木」を載せ、狩衣の袖を掴んだ両手を拡げて天を仰ぐ所作をします。算木は、長さ10cm、巾1.5cmほどの竹10本に穴を通して縄で結んだものです。

次に、4人が立ち上がってそれぞれ両袖と共に算木を両手で持って、笛・太鼓の囃子に合わせて舞います。

2.杵振りの舞 白の小袖・半纏・袴姿に土色の布を頬被りした杵振りが、拝殿に向かって正座し右手に白扇、左手に白の杵を持ちその手を拡げて天を仰ぐ所作をします。次に、立ち上がって杵を肩に担いだり、上げた片足の下を通したりします。最後に杵を空中高く放り投げこれを下に落とさずに拾いとめる所作をします。

3.獅子起こしの舞 猿田彦が白扇を持って笛・太鼓の囃子に合わせて舞います。途中、拝殿に向かって正座し袖を掴んだ両手を拡げてて天を仰ぐ所作をします。次に、獅子が現れ猿田彦は獅子と共に舞いますが、獅子は横たわり寝てしまいます。猿田彦も獅子の隣に並んで仰向けになって寝ます。

やがて起き上がった猿田彦は、獅子を起こそうと獅子の鼻の穴に扇子を突っ込んだりします。獅子は起き上がると宮司が差し出す杉の枝を咥え、猿田彦とともに舞います。

野祭りが終わると渡御行列は行列を組んで拝殿に戻り、七日祭は終わります。

 

     渡御出発                          猿田彦・獅子・篠葉踊子

 

獅子が暴れる                              篠粽を配る

 

笛吹き・太鼓打ち                             算 木   

 

神前の舞

 

杵振りの舞

 

 獅子越こしの舞

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