辻原の送り神

【祭礼日】7月12日に近い日曜日
【場 所】津島神社(中津川市千旦林1667-3 辻原白山神社内)

【日 程】8:00(幣束を地区一巡させる)、12:30~13:00(宮司挨拶・世話人行事説明=神社)、13:10~13:30(送り神地区巡行)

「柳田国男集」では、送り神の起こりを次のように伝えています。

『尾張津島の天王は、昔から疫病を制御する大神として信仰されていた。その昔、津島の詞官堀田弥五郎というものが美濃に来て、その土地の人に殺されてから、その祟りによって悪疫が広く流行した。そこで、これを津島に送り返す心でこの祭事が始まった。その信仰区域に「弥五郎送り」という行事がある。例えば、美濃、山県郡の各村では旧6月中の厄神送りに、この神の社前から幣束と葉竹を中に立てて、行列をなして村内を廻り、厄神を村の外へ送り出すことを「弥五郎送り」と言っている』

また、祭り当日に頂いた資料によれば「祭り当日早朝の行事」は、次の通りです。

『祭り当日は、幣束を2本作り、総代が早朝に津島様の前で参拝した後、上・下2組に分かれ、お宮を中心にして右廻りに地域内を一巡し、最後の家の方は津島様の前に戻し建てて置く。各家庭では廻ってきた幣束を持ち、「祓い給え、清め給え、幸い(サキワイ)給え」と唱え家内を一巡する。家の中の厄神を幣束に乗せて玄関を出て、塩をかけ清めてから隣の家の人に手渡しをする。隣の家が不在の時は、代理でその家をお祓いした後、その次の家の人に手渡しをする。幣束は絶対に下に置かないように心がける。このように各家庭の厄神を幣束に乗せ集めて村の外に送りだす。こうして、尾張の津島神社の祭礼に間に合うように行われる。』

祭り当日昼ころ神社に着くと、社務所前に幟・人形・笹竹が立て置かれていました。

幟は2本で、1本には津島神社・組内安全、もう1本には弥五郎・居森殿・組内安全と書かれています。

人形は、竹製の酒樽2ヶを肩に担ぎ牛に乗った弥五郎と、男根に乗った居森(弥五郎の妻)の2体です。

笹竹は、長さ1.5mの笹竹に津島神社、組内安全と書かれた短冊12枚(閏年は13枚)を飾り付けたもの2本です。

時間になると社務所で宮司と世話人が、集まった子供や大人たちに送り神行事の内容を説明をします。

その後、境内の津島神社に参拝し、太鼓・幣束・幟・人形・笹竹の順で神社から出発します。道中歌を歌いながら1Kmほど南にある国境地蔵(辻原八十八ヶ所巡り一番札所前)に行き、幣束・幟・人形・笹竹を立てて拝礼し行事は終わります。当日の参加者は50人余で、うち幼児~小学6年生が半分ほどでした。

【道中歌】送り神送れ やれ申せ子んどもよ(子供よ) 草鞋を腰にかっつけて 八幡地獄へごっそごそ(御送御送)

 

幟と人形                     笹 竹

 

 弥五郎                      居  森

 

   行事の説明                               津島神社に参拝

 

地区巡行

 

国境地蔵でお参り

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