獅子舞・鶏芸(錦山神社)

【祭礼日】5月5日
【場 所】錦山神社(高山市江名子町368)

【日 程】9:00(神事=錦山神社)、10:00(巡幸出発)、10:45~11:00(神事=御旅所)、12:00(獅子舞・鶏芸=御旅所)、12:10~14:00(巡幸)、14:10~15:20(神事・浦安の舞・獅子舞・鶏芸=飛騨護国神社)、15:30~(還幸出発)

錦山(ニシキヤマ)神社に着くと、例祭神事が終わり御旅所への渡御に移るところでした。高台にある神社から急傾斜の石段を獅子2頭・神職などが下りてきます。これを石段の両側に並ぶ鶏芸(トリゲイ)の一行と獅子舞の笛方が、鉦・太鼓を打ち笛を吹きながら迎えます。

獅子舞と鶏芸の一行は広い道路で舞いながら江名子(エナコ)川沿いにある御旅所まで進みます。御旅所には小さな社がありこの前に安置した鳳輦(ホウレン)に祭壇を設け神事が行われます。

その後、昼休み休憩で一旦解散し1時間ほど後、鳳輦の前で獅子舞と鶏芸が奉納されます。

【獅子舞】獅子舞は、高山市とその周辺で舞われる「徳兵衛(トクベイ)獅子」です。

徳兵衛獅子は、江戸時代末に江名子村(現在の高山市江名子町)の松原屋兵助が編み出した「兵助獅子」が始まりで、これを兀下(ハゲシタ)徳之助(通称徳兵衛)が習得し発展させたもので、囃子に合わせて勇壮に舞う二人立ちの獅子舞です。

獅子舞の囃子は、4輪の太鼓台に置いた直径1mほどの平太鼓1台・背負子(ショイコ)に置かれた締め太鼓1台・笛3人です。

平太鼓と締め太鼓を打つのは紋付袴姿に黄の狩衣を着けた2人で、太鼓台の世話係3人と背負子を背負う1人は、昔の火消し組装束である刺子(サシコ)半纏を羽織り三角笠を被っています。笛方の3人は緑の狩衣(カリギヌ)・袴姿です。

【鶏 芸】錦山神社の鶏芸は、上宝(カミタカラ)村一重ケ根(ヒトエガネ)(現在の高山市奥飛騨温泉郷)に伝わる鶏芸を模したものといわれ、昭和34年(1959年)から始められたそうで、踊り子が全員子供であることが特徴です。

小中学生の踊り子約20人が、囃子方の周りで輪になって鉦・締め太鼓を打ちながら踊ります。

踊り子は、鳳凰を染めた上衣・龍を染めた裁着袴(タッツケバカマ)姿に黒の手甲を着け、雄の軍鶏(シャモ)の尾羽で飾った「シャゴマ」を被り黒足袋に草鞋を履いています。

両端に白の房を付けた棒を持つリーダー2人と胸に締め太鼓を付ける2人以外は、左手に鉦を右手に撞木(シュモク)を持っています。

鶏芸の囃子方は、踊り子と同じ衣装で長胴太鼓を打つ1人と6人の笛方です。笛方は、紺の半纏を着けた4人と踊り子と同じ衣装の2人が混在しています。

御旅所での獅子舞と鶏芸が終わると、各所で獅子舞・鶏芸を披露しながら2時間も地区を巡行した後、飛騨護国神社に入ります。

護国神社本殿前に安置した鳳輦(ホウレン)に祭壇を設け神事が行われ、続いて少女4人による浦安の舞が奉納されます。その後、獅子舞と鶏芸が奉納されますが、五穀神社での獅子舞では、「へんべとり」の獅子舞も奉納されます。

「へんべ」とは蛇のことで、二人立ちの獅子2頭が地に置かれた赤と白の蛇を咥え取った後、勇壮に舞います。一重ケ根の獅子舞でもへんべとりが舞われています。

獅子舞と鶏芸が奉納されると小休止の後、錦山神社に還幸します。

 

  獅子を迎える鶏芸らの一行(錦山神社)        鶏芸(神社~御旅所の間)           

 

 神事(御旅所)                         獅子舞(御旅所)

 

  鶏芸(御旅所~護国神社の間)              獅子舞(御旅所~護国神社の間)

 

獅子舞の囃子方                              鳳 輦   

 

   神事(護国神社)                        浦安の舞(護国神社)

 

  獅子舞(護国神社)                    へんべとり(護国神社)

 

鶏芸の囃子方(護国神社)                     鶏芸(護国神社)    



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