【祭礼日】5月4~5日
【場 所】南宮大社(不破郡垂井町宮代1734-1)
【日 程】4日[試楽]16:30~17:00(還幸舞=斎館儀式殿)、5日10:00(神幸式=大社)、14:00(発輿祭=大社)、14:30(神輿渡御)、15:30(着輿祭=御旅神社)、16:30(還幸舞・蛇山神事=市場野祭礼場)、19:00(還幸祭=大社)
南宮大社は、鉱山を司どる神である「金山彦命(カナヤマヒコノミコト)」を祭神としており全国の鉱山・金属業の総本宮で、「美濃国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされています。
南宮大社の例大祭は5月5日ですが、前日の夕方、「試楽」として斎館2階の「儀式殿」で「還幸舞」が舞われます。
例大祭当日は午前中に「神幸式」が行われ、午後から南宮大社の2Kmほど北にある「御旅神社」(旧美濃国府跡の南隣)へ神輿・母衣花(ホロハナ)などが神幸し、「着輿祭」のあと南宮大社に還幸しますが、途中、市場野祭礼場に神輿を安置し、この前にある車楽(だんじり)の上で還幸舞が舞われます。
還幸舞は宮代の4地区のうちの1地区が年交替で「踊り番」を務め、他の3地区は神輿の駕輿丁(カヤチョウ)を務めることになっているそうです。
【還幸舞】還幸舞には「羯鼓(カッコ)舞」「脱下(ヌギサゲ)舞」「竜子(リュウシ)舞」の3種があり、囃子方・舞方いずれも男児です。
羯鼓舞は、囃子に合わせて緑の襅(チハヤ)姿で頭に宝冠を頂いた2人が胸に下げた羯鼓を打ちながら舞います。囃子方は、素襖(スオウ)姿に侍烏帽子(サムライエボシ)を被った笛方1人・黒紋付袴姿の小鼓2人・大鼓1人・締め太鼓1人です。
脱下舞は、総模様の着物の片袖を脱ぎ緋の着物下を露わにし濃紫の長頭巾を被った2人が、鶴の絵が描かれた扇を持って舞います。この舞だけ、笛を除く囃子とともに裃姿の歌方の歌が加わります。歌の詞(コトバ)が「ありがたや・・・」から始まることから「有難舞」とも呼ばれています。
竜子舞は、臙脂(エンジ)の着物に鱗模様の裁着袴(タッツケバカマ)を着けた4人が、濃緑の顔に赤い髪の木彫りの竜頭を被って舞い、最後に囃子が急調子になると2人が1組になって四方の柱を次々に激しく揺すろうとします。
だんじりの舞台の高さは2m余もあり正面は道路でもあり還幸舞の見学には不向きで、例大祭前日に斎館儀式殿で行われる試楽を見学するのがよさそうです。昨日これを見学しておいたので舞の内容がよく分かります。
【蛇山(ジャヤマ)神事】還幸舞が舞われるだんじりに連接して、「蛇山」と呼ばれる高さ13m、周囲20mほどの櫓が組み立てられ、これに波模様を染めた紺の幔幕が張り巡らされ、櫓の上部左端には神木とされる松の枝が右端には蛇の尾とされる剣が立っています。
5日の未明、一本の太い竹の先端に取り付けた蛇頭が蛇山に据えられます。黒の顔・金色の光る眼・赤のざんばら髪と長い首を持つ蛇頭は櫓の上から顔をのぞかせ、還幸中の3基の神輿が蛇山の向かい側に安置され「楽人」が雅楽を奏すると蛇頭を左右に動かし口をパクパクと開けます。
また、だんじりで舞われる還幸舞の囃子にも合わせて蛇頭を動かし、竜子舞で囃子が急調子になると激しく蛇頭を動かします。
蛇頭は濃尾平野の方へ向かって口を開けるように操作するのが本格とされていて、雨乞いの行事と関係があるのかもしれません。
<有難舞>
ありがたや ありがたや ところはんじょうの御代なれや
山やだんじり 神のむかいに 神のむかいに
あめにきる あめにきる みののを山の松が枝ぞ
ともに栄ゆる 神の上に 神の上に
けふことに けふことに にぎはふ国のみやしろや
山や花かき 神のみまえに 神のみまえに
(以下省略)
鞨鼓舞(儀式殿) 脱下舞(儀式殿)
竜子舞(儀式殿)
還幸中の行列 神輿の差し上げ(市場野)
各地区の母衣花(市場野) 楽人(市場野)
脱下舞(市場野) 竜子舞(市場野)
蛇山(市場野)