東津汲の鎌倉踊り(白髭神社)

【祭礼日】4月29日
【場 所】白髭神社(揖斐郡揖斐川町東津汲1171)

【日 程】 10:00~10:40(式典)、10:40~11:30(鎌倉踊り=神社・久瀬振興事務所前)

「東津汲(ヒガシツクミ)の鎌倉踊り」がいつ頃から行われていたのかははっきりしていません。源平合戦で源氏の勝利を祝って踊られるようになったとも、関ヶ原合戦で敗れ当地に住み着いた武士が、出陣する時の様相を思い出して作られたともいわれ諸説があります。

鎌倉踊りの歌詞に「鎌倉の御所の御前に岩なり家があるといの 討姫は八つに成りする・・・」など鎌倉を入れた歌詞が多いことから鎌倉踊りと称したといわれています。

白髭(シラヒゲ)神社で式典の後、境内で鎌倉踊りが奉納されます。青の半纏姿の幟持ち1人・黒の甲冑姿に槍を持つ鎧武者1人・裃姿に陣笠を被る唄方1人を囲んで、太鼓打ち7人・采(サイ)振り5人・鉦打ち2人・拍子1人が輪になって、唄方の唄とともに太鼓・鉦を打ち鳴らしながら踊ります。笛方は輪の外で囃します。

太鼓打ちは、白の長袖シャツ・青の半纏・白の軽衫(カルサン)姿に、黄の襷を掛け白の鉢巻を締め、黒の手甲脚絆を着け黒の足袋・草鞋を履き、胸に太鼓を付け「母衣(ホロ)」を背負っています。

母衣は、直径約10cm・長さ260cmの太竹を48本に割り、この割竹に赤・白・緑の色紙を5段に分けて付け、割竹を筒状に形どったもので重さは14Kgあるそうです。

采振りは、太鼓打ちと同じ衣装で、赤の半纏を羽織り赤と青の襷を掛け、両端に赤・白・緑の房を付けた采を持つ男女児です。

鉦打ちと拍子は、太鼓打ちと同じ衣装で赤と青の襷を掛け、笛方は黒紋付着流し姿です。

曲目は、「道行(ミチユキ)」・「拍子太鼓」・「役踊り」の三種に大別され、道行には「入花(イリバナ」」「煙下(サガ)り」「小さんぎり」「のってんちき」「酒のみしょうじよう」「渡り拍子」「岡崎の女郎衆(ジョロウシュウ)」「し車」「なまず」「なまずおさえ」「かーへーよー」の11曲があり、拍子太鼓には「ちんば拍子」「あやおり」「つぎ拍子」「四十(シジュウ)から」「うずら」「さんぎり」「うちきり」「向かいの山」「京から」の9曲があり、役踊りには「殿踊り」「鎌倉御所」「若殿」「西国舟(サイゴクブネ)」「長者踊り」「堂所踊り」「宮立」「寺踊り」「おちご踊り」の9曲があるそうです。すべてが同時代の成立ではなく、江戸時代中期以降に成立したものといわれています。

境内での踊りが終わると、幟・鎧武者・唄方を先頭にして行列を組んで、笛・太鼓を囃しながら久瀬振興事務所に向かいます。途中、全長80mの木製のつり橋宮山橋を渡ります。

久瀬振興事務所前の駐車場でも同じように鎌倉踊りが披露されます。

 

   式典(白髭神社)                       鎌倉踊り(白髭神社)

 

     鎌倉踊り(白髭神社)                  鎌倉踊り・采振り(白髭神社)

 

    道 行                              道行(宮山橋)

 

     鎌倉踊り(久瀬振興事務所前)            鎌倉踊り・采振り(久瀬振興事務所前)

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