【祭礼日】4月15日に近い日曜日
【場 所】武芸八幡宮(関市武芸川町八幡1712)
【日 程】9:00(例大祭式典=本殿)、14:00(浦安の舞=御旅所)、14:30(花馬行列出発=一の鳥居)、14:50(子供神輿御旅所入り)、15:00(花馬御旅所入り・花奪い=御旅所)、15:10(還御行列出発=御旅所)、15:40(還御祭=本殿)
武芸(ムゲ)八幡宮は、養老元年(717年)泰澄(タイチョウ)大師が創建したと伝えられる神社で、岐阜城の丑寅(北東)の方角にあることから鬼門鎮護の神社として、織田信長・信忠・信孝の織田家3代の当主から崇敬を集めていたといわれます。
「花馬祭り」は、武芸八幡宮の例大祭行事の一つとして武芸八幡宮の御旅所で行われます。当日午前中、本殿で例大祭の式典が行われた後、神輿に御霊が遷され700mほど南にある御旅所に渡御します。
御旅所から600mほど南にある一の鳥居近くに八幡公民館があり、ここで花馬の背に花が飾られます。花は、ピンク色に染めた和紙を桜の花びら状にした造花を、長さ3mほどの竹ひごに糊で貼り付けたものです。馬の背の両側には藁製の米俵が1俵ずつ括られ、背に立てられた米俵には数十本の花が挿し込まれています。
新型コロナウイルス禍のため、今年は4年ぶりの開催で花馬は2頭です。4年前までは花馬は4頭だったそうです。
準備が整うと一の鳥居に奉仕者が集まり、14時30分に列を成して御旅所に向かいます。行列は、白の上衣袴姿の8人・警護役4人・榊持ち・大幣(オオヌサ)持ち・組旗持ち・花馬2頭などの順です。
一方、御旅所では14時、舞姫4人により浦安の舞が奉納されます。境内には観客の安全確保のためロープが張り巡らされます。
花馬が御旅所に入る10分ほど前に、法被姿の子供たちに担がれた子供神輿2基が御旅所に入ってきます。子供神輿にも花馬と同じ花がそれぞれ10本ほど挿し込まれています。一行は社殿前に進み、榊を持つ宮司と鈴を持つ巫女のお祓いを受けます。
続いて花馬の一行が御旅所に入り、それぞれ宮司と巫女のお祓いを受けます。法被姿の馬方2人と花馬は宮司と巫女のお祓いを受けると境内を周回しようとしますが、半周もしないうちに10数人の若者たちに取り囲まれ花奪いが行われ、1分もしないうちに馬の背の花はなくります。皆さん、怪我をしないように予め手袋をしているので動きが早く荒っぽいです。
2頭目も同じようにして花奪いが行われます。手にした花を円形にして家の屋根に上げておくと落雷防止、家運隆盛に御利益があるとされています
花奪いが終わると、リヤカーに乗せた神楽館(カグラヤカタ)を曳く法被姿の一行2組が御旅所に入り、宮司と巫女のお祓いを受けると社殿前で笛・太鼓で囃子を奉納します。それぞれの神楽館には榊持ち・大幣持ち・組旗持ちと白の上衣・袴姿で獅子頭を手に持つ1人が付き添っています。
神楽館の囃子が奏される中、社殿右横に繋がれていた神馬が曳き出され、社殿内から神輿が担ぎ出され還御が始まります。神馬・鎧武者・巫女・神社旗・鉾・太鼓・神輿・宮司・榊などの順で列を組んで本殿に向かいます。神輿を担ぐのは白丁(ハクチョウ)姿の12人です。
社殿左横にある二の鳥居をくぐり、鬱蒼とした杉林に囲まれた参道を進み、神様を乗せた神輿だけが渡ることを許される太鼓橋を渡り、神様を護る「随神門」をくぐり、本殿前にある拝殿内に神輿を安置します。御霊を神輿から本殿に遷した後、宮司挨拶があり例大祭が終わります。
武芸八幡宮御旅所 神馬(御旅所)
浦安の舞(御旅所) 巫女・舞姫・宮司
子供神輿(三組) 子供神輿(八組)
子供神輿の一行をお祓いする 鎧武者
花馬の代表をお祓いする(1頭目) 花馬(1頭目)
花奪い(1頭目) 花馬の代表をお祓いする(2頭目)
花馬(2頭目) 花奪い(2頭目)
神楽館(三組) 神楽館(三組)の囃子方
神楽館(八組) 還御行列
太鼓橋を渡る神輿 宮司挨拶