雲浜獅子(小浜神社)

【祭礼日】5月2~3日
【場 所】小浜神社(小浜市城内1-7-55)

【日 程】2日10:00(本陣出発)、11:30(小浜市文化会館)、15:00(関・上竹原)、16:00(水取神輿本陣)、17:00(広峰神社奉納)、19:00(本陣)、3日8:00(本陣出発)、10:00(お城太鼓会本陣)、11:00(小浜神社宮入)、14:00(雲浜太鼓会本陣)、17:00(山手太鼓会本陣)、19:00(本陣)

「雲浜(ウンピン)獅子」は一人立ちの三頭獅子舞で、関東地方に広く分布する風流系の「ささら獅子舞」が関西に定着した珍しい例です。

寛永11年(1634年)、武蔵国川越藩主の酒井忠勝が若狭国に転封の際、川越の獅子舞伝承集落30戸を旧雲浜村竹原に移住させ、当地で芸の伝習を行なわせたのが雲浜獅子の始まりといわれています。

「雲浜獅子保存会」の調べでは、明治末までは「川越獅子」と呼ばれていましたが、大正4年(1915年)に大正天皇即位を記念する「大典記念京都博覧会」に参加するにあたり、伝承地の地名に因んで雲浜獅子と名乗るようになったそうです。

明治維新までは、小浜藩主の土産神(ウブスナガミ)であった広峰神社の祭礼と城内の祝典以外での演舞を禁じたといわれますが、現在は、酒井忠勝を祭神とする小浜神社の5月の例祭(お城祭り)と9月の八幡神社放生祭(ホウゼマツリ)で奉納されています。

今回はお城祭りの中で舞われる5月2日の雲浜獅子を見学しました。本陣出発に間に合わなかったため、小浜神社に参拝した後、神社近くの一番町会館前で舞を始めた獅子舞の一行を見つけ、その後、巡行する7ヶ所での獅子舞を見学しました。

獅子舞の舞方3人は、白の浴衣・緑の裁着袴(タッツケバカマ)姿の背に2本の御幣を立て、黒く長い鳥の羽根を着けた獅子頭を被り、羯鼓(カッコ)を胸に付け両手に撥を持っています。鳥の羽根は獅子頭から胴幕の背筋にまで続いています。

獅子は老・若・雌の三頭で、雄の老若2頭の胴幕は青、雌の胴幕は赤で、老の獅子頭と胴幕背筋の羽根には白の羽根が混じっていて若との区別がつくようになっています。

舞は、雌獅子をめぐって老・若の雄獅子が争い、最後は雌獅子のとりなしで老・若獅子が仲直りするするというストーリーで、ゆったりとした笛方の囃子と「獅子追い」の歌に合わせて舞います。歌は16段あるそうです。

笛吹きは、着流し姿に角帯を締め「水引き」と呼ばれる赤の垂れ布が付いた三度笠を被る6人です。獅子追いは、白の浴衣・緑の裁着袴姿に茶の半纏を羽織り、白の手甲を着け、鳥追い笠の上から手拭いを頬かむりする4~5人です。

舞方・笛方・獅子追いが着ける浴衣・長着・手拭い、獅子の胴幕には酒井家の家紋の「井桁」の模様が染められています。

獅子舞には、大人と同じ衣装を着けた小学生だけの舞方3人も同行しますが、今回は見学する機会がありませんでした。夕方からの本陣や広峰神社での奉納には演舞しているのではないかと思います。

お城祭りでは、雲浜獅子の他に「お城太鼓」「山手太鼓」「雲浜太鼓」「水取(ミズトリ)神輿」がそれぞれの本陣から出発し、市内を巡行しながらそれぞれの本陣前で演舞を披露し合います。(水取神輿は3日のみ出御します)

獅子舞の巡行に同行してしばらくすると、雲浜太鼓の太鼓打ちと棒振りの一行に会いました。「棒振り太鼓」と呼ぶようです。

直径90cmほどの大太鼓を乗せた屋形には、黄の着流し姿に角帯と赤の紐を締めた20人ほどの太鼓打ちが付き添い、交代して徳利型の撥で大太鼓を打ち鳴らします。小中学生の男児の他に女児も入っていて同じ衣装で太鼓を打ちます。

屋形には、唐子衣装に白のシャグマを被り黒の足袋と草鞋を履き、両端に白の飾りが付いた六尺棒を持つ「棒振り」も付いていて、太鼓の音に合わせて3人で舞います。

明日は本祭で水取御輿も出御し、早朝からそれぞれの本陣を出発し巡行した後、13時には、水取神輿と棒振り太鼓3台がそろって宮入りするそうです。(雲浜獅子のみ11時に宮入りします)

   

笛 方                                 雲浜獅子

 

雲浜獅子 

 

 棒振り                               雲浜太鼓

 

棒振り

 

雲浜獅子

 

  大人と子供の舞方                          胴幕を上げて休憩  

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