例祭神事(闇見神社)

【祭礼日】4月5日
【場 所】闇見神社(三方上中郡若狭町成願寺(ジョウガンジ)12-7)

【日 程】10:30(例祭神事・豊栄の舞=神社)、12:00(村立ち)、13:00(当渡し・王の舞・獅子舞・大御幣搗き=大槻木広場)、14:00(神輿宮出し=神社)、15:00(神事・王の舞・獅子舞=御旅所)、15:30(神輿宮入り)

闇見(クラミ)神社の創建時期は不明ですが、延長5年(927年)に纏められた「延喜式神名帳」に記載されている「式内社」です。

「闇見神社発端之事」に『嶺の中腹の大池に大蛇が住んでいて萬民に災を与えていた。第11代垂仁天皇の御宇甲午の年に素盞嗚尊・奇稲田神の化身の2老人が大蛇を退治された時、大蛇が2つになって飛び上り、1つは美濃国に1つは若狭の山辺に落ちて闇見の神になった』と記されていて、この時、辺り一面が暗闇になった故事から祠(ホコラ)を祀り、闇見神社と呼ぶようになったといわれます。

闇見神社の例祭神事は、旧十村(トムラ)の氏子集落のうち倉見・白屋・成願寺・上野・岩屋の当屋集落が、倉見⇒白屋(上の組)⇒上野⇒成願寺⇒倉見⇒白屋(下の組)⇒岩屋の順で務め、「王の舞(おのまい)」・獅子舞などが奉納されます。

例祭神事の準備は、2月下旬に王の舞候補少年2人と師匠2人を選ぶことから始まり、3月に入ると、王の舞の稽古や注連縄作り・「災払幣(サイハライベイ)」作り・大御幣作りなどの作業が行われ、例祭前日の午後、直会と王の舞の「御仕上げ披露」が行われます。

例祭当日の昼前に「村立ちの儀式」の後、長さ5mほどの竹の先端に御幣を付けた松の枝を差し込んだ災払幣と小幣3本を先頭にして行列を組んで闇見神社に向かいます。

参道入り口の大槻木と呼ばれる広場で、本来は最初に「当渡しの儀」が行われのですが、今回は王の舞と獅子舞の奉納が先に行われました。

王の舞を舞うのは、小学生と中学生の各1人です。小学生の舞手は、赤裏地の紫の振袖の上に浅黄の狩衣(カリギヌ)・括り袴姿に、女物の帯を締め赤の手甲脚絆を着け、五色紙で飾った侍烏帽子(サムライエボシ)を頭に戴き顔に茶色の鼻高面を着けています。裃姿の大勢の当屋役員などが見守るなか、締め太鼓と笛に合わせて舞います。

中学生の鉾持ちは、赤橙色の狩衣・紫の袴姿に赤の手甲脚絆を着け、侍烏帽子を被り五色紙で飾った鉾を持って控え、鉾を舞手に渡したりします。

王の舞が終わるとブルーシートが取り除かれ、二人立ちの獅子が締め太鼓と笛の音に合わせて舞います。

この後、「当渡しの儀」が行われます。広場に据えてある平板の石の上に立てた大御幣を挟んで、今年の当屋集落と来年の当屋集落の代表者が正座して、渡し方が差し出した木箱から、受け方が「御祭礼帳」を取り出し黙読して渡し方に戻すことにより儀式は終わります。

次に、「大御幣搗き」が行われます。大御幣は、4寸角・高さ6尺に切り出した松生木を軸木として「申」の字に縦木・横木を組み、左右の縦木各5本に紙垂を50本ほど付けたものです。

この大御幣に7~8本の縄を結び、掛け声とともに縄を一斉に引っ張り大御幣を空中高く揚げた後、地面に叩き付けます。これを参道入り口から始めて、200mほど先の拝殿前まで何度も繰り返すので、大御幣は軸木だけになりますがこれさえも打ち砕きます。

木屑になった大御幣を本殿に納めると、神輿庫から神輿が繰り出され御旅所に向かいます。神輿舁きは、白の長袖・ズボンに煉瓦模様の白の半纏を羽織り白足袋を履く10人余です。

御旅所では宮司により神事が行われた後、ブルーシートと茣蓙が敷かれた上で盃事(御神酒拝戴)があり、次に、王の舞と獅子舞が奉納され御旅所での行事が終わります。

 

王の舞(大槻木広場)

 

獅子舞(大槻木広場)

 

  大御幣(大槻木広場)                    当渡しの儀(大槻木広場)

 

大御幣搗き(参道)

 

  神輿(御旅所)                           盃事(御旅所)

 

王の舞(御旅所)

 

獅子舞(御旅所)

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