神事(国津神社)

【祭礼日】4月3日
【場 所】国津神社(三方上中郡若狭町向笠13-28)

【日 程】12:00~15:30

若狭町向笠(ムカサ)にある国津神社で4月3日に行われる「神事」は600年以上の歴史があるとされています。

【神事講】向笠には「神事講」という祭りの組織が、中世から近世にかけて出来上がり現在も継承されていて、向笠地区の100戸ほどの全戸は、四つの組に分かれたいずれかの組の講に入っています。

一の組は「輿(コシ)の村」、二の組は「流鏑馬(ヤブサメ)の村」、三の組は「大村(オオムラ)」、四の組は「田楽(デンガク)の村」と呼ばれれ、一の組は神輿を担ぎ、「王の舞(オノマイ)」を舞い、三の組は「田植え踊り」を、四の組は「田楽」を担当しています。

二の組の流鏑馬は現在では行われていません。かつては流鏑馬も行われていましたが、弓が観覧していた武士に当たる事故が起こり取りやめになったと伝えられています。

【頭 屋】各組には1年交替の本頭屋(ホントウヤ)と2人の脇(ワキ)頭屋がおかれ、本頭屋が祭りの当番をし、脇頭屋は本頭屋の補助をし翌年か翌々年の本頭屋になります。

かつては各組の頭屋は、椎の木と藁で作った「オハケ」に国津神社祭神の御霊を遷し、宿となる本頭屋の屋敷内前庭に立て、座敷の床の間に大御幣(オゴヘイ)を祀り、祭礼当日の午前中に各組の宿で祝宴を催し村立ちしていました。

現在は、輿の村と流鏑馬の村は「自然休養村向笠経営管理所」を、大村と田楽の村は「縄文の里向笠文化伝承館」を本頭屋の宿とし、祝宴の後、午後から村立ちします。自然休養村管理所と文化伝承館は国津神社の参道沿いに向かい合って建ち、この前の道路が馬場と呼ばれ、自然休養村管理所前の広場が御旅所になっています。

【村立ち】村立ちは、輿の村・流鏑馬の村・大村・田楽の村の順に、時間をおいて行われます。村立ちの行列は、露払い・御供(ゴク)・大御幣(オゴヘイ)・御供舁き(ゴクカキ)・オハケ・囃し太鼓などで、輿の村だけは、鉾・王の舞・獅子が加わり先頭に就きます。

大御幣持ちと御供舁きを除き、一行の衣装は紺や黒の素襖(スオウ)姿に侍烏帽子(サムライエボシ)を被り、足元は白足袋か素足です。大御幣持ちは小振袖に裃姿の男児、御供舁きは振袖姿の女児です。

御供の餅と御神酒は、荒縄を括り付け多数の椿の花で飾られた大きな木箱に入っています。大御幣は、丸木の幣串に幣束を付けたもので、人身御供の様を表しているのだそうです。男児だけでは荷が重いので後ろから大人が支えています。

村立ちした行列は、参道の一本南側の道を西進し神社近くで二手に分かれ、御供・御供舁き・オハケは神社に向かい、その他の若衆は神社の西側から神社北側の道に回り込んで東進し馬場に戻ります。

御供舁きの女児は、鳥居下で「老司」などが持ち上げる御供の木箱の下をくぐり抜けて宮入りします。かつて村立ち・社参の時、付人が持つ御供を御供舁の頭上にかざしていたことの名残りなのかもしれません。

境内には同じ大きさの社殿が三つ横に並んでいます。中央が国津神社、向かって右が神明社、左が天満社です。木箱に入った御供は、四村とも天満社の神前に置かれます。

天満社の神前で、十字に組まれた木の折敷(オシキ)に載せた盃に大振りの片口から御神酒が注がれ、盃の御神酒に口を湿らせた若者が、後の屋根に向かって折敷の盃を放り上げます。この神事は四村とも行いますが、なかなか屋根に乗せることは出来ません。

午後2時頃、鉾・王の舞・獅子・裃姿の警護4人・裃姿の大御幣持ち4人・四村の囃し太鼓の順で行列を組んで、馬場から神社に向かいます。鳥居手前の参道では四村の素襖姿の講員が地面に正座・平伏して行列を迎えます。神社に大御幣が奉納されると神輿が担ぎ出され、行列を組んで御旅所に向かいます。

御旅所で王の舞・田楽・田植踊りが奉納されます。

【王の舞】王の舞の舞い手は、赤の狩衣(カリギヌ)・括り袴姿に鼻高面と鳥兜(トリカブト)を被り、「イーヤ」の掛け声と締太鼓の音に合わせて、両手で持つ鉾で四方を突いたり、三角を描くように回したりします。次に、鉾を鉾持ちに預けて両手を腰に当てて上半身をそらせたり、両袖をそろえて左右に振り上げたり跳躍したりします。田起こしの所作をしているのだそうです。

【田 楽】王の舞が舞われている途中から田楽と田植踊りが同時に奉納されます。田楽は、閉じた扇を持つ舞人1人・締め太鼓打ち2人・びんざさら3人の合計6人です。

【田植踊り】田植踊りは、閉じた扇を持つ舞人4人・締め太鼓打ち2人の6人で、舞人は、侍烏帽子の後に娘の名を書いた細長い短冊を吊り下げて早乙女であることを表しています。短冊は巻き紙になっていて、踊りが終わると短冊は烏帽子の後ろに巻いて収めることが出来るようになっています。娘の名は恋人の名のようです。

舞人は、宿の村立ちに先立つ祝宴で使った箸を半紙に包んで懐に入れて、田植踊りの際にこの箸を苗替わりに使って田植えの所作をします。

王の舞は田起こし、田楽踊りは代掻き、田植踊りは田植えを表し、一連の芸能を農耕作業に結び付けています。

御旅所での奉納行事が終わると、再び行列を組んで神社に向かい、神社でも王の舞・田楽・田植踊りが奉納されます。

【神社での奉納】神社では、天満宮前に安置された神輿の前で1回目の王の舞が奉納されます。次に、国津神社前で2回目の王の舞が奉納されると同時に、天満宮前で田楽の奉納が始まります。次に、国津神社前で3回目の王の舞が奉納されると同時に、国津神社前で田植え踊りの奉納が始まります。

王の舞・田楽・田植踊りがほぼ同時に終わる決まりになっていて、王の舞の舞手は舞が終わると、鉾持ちに手を引かれて鳥居の方向にある社務所に向かって全速力で走ります。他の三村の講員がこれを追いかけ王の舞の舞手を突き倒すことができればその年は豊作になるといわれています。

周りに人がいなくなった神輿の前で、神職が神事を行い祭りは終わります。

 

 輿の村の村立ち行列                      流鏑馬の村の村立ち行列

 

盃を屋根に向けて放り上げる

 

天満宮に供えられた御供

 

正座して行列を迎える                         四村の大御幣   

 

 御供舁きの女児                         御旅所に向かう神輿

 

  王の舞(御旅所)                       田植踊り(御旅所)

 

   神社に向かう                         娘の名が書かれた短冊

 

王の舞(神社)                           田楽(神社)

 

 田植踊り(神社)                         王の舞(神社) 

 

王の舞を追いかける                          神事(神社)  

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