粟田部の蓬莱祀(岡太神社)

【祭礼日】2月11日・13日
【場 所】岡太神社(越前市粟田部町19-2)

【日 程】11日12:30(神事)、13:00~17:00(山車巡行)、13日(蓬莱祭)

「粟田部(アワタベ)の蓬莱祀(オライシ)」は、越前国を治めていた男大迹王(オオドノオオキミ)(後の継体天皇)が河内国の樟葉宮(クズハノミヤ)(現在の大阪府枚方市)で天皇に即位(在位507~531年)したことを祝い、即位の行列をまねて行ったのが始まりと伝えられています。

古事記・日本書紀では、継体天皇は近江国で生まれたが、父・彦主人王(ヒコウシノオオキミ)を早くに亡くしたので母・振媛(フルヒメ)の故郷の越前国で育ったとし、応神天皇の5世の孫としています。

岡太(オカフト)神社鳥居前に山車が置かれていました。木製の橇(ソリ)の上に藁で覆われた直径約3m、高さ約1.7mの円柱状の俵が据えられ、この俵の上を杉の枝で飾り、俵の中央には栗の木3本と幣束を付けた「幣竹(ニギタケ)」・鏡餅を付けた「鏡竹」が立っています。

栗の木の枝には繭玉(マユダマ)を模した無数の餅花が付けられ、さらに手桶・小太鼓が左右に各1ヶ付けられています。俵の前面上には赤い鳥居と青竹に刺した「串の餅」20数ヶが飾り立てられています。

俵の中は空洞なのかとお聞きすると、中は藁束がびっしりと詰まっているのだそうです。戴いた祭りのパンフレットに俵の作り方が記されていました。

直径20cm、長さ1.7mほどに束ねた大量の藁束を更に束ねて直径2.5mほどに仕上げ、これを縄で固く縛り鉄の輪をはめて俵の芯として、更に藁束を巻いてその上に筵を巻き最後に俵の中央部を縄で15段に縛り完成です。

神事と関係者の挨拶が終わると山車の巡行が始まります。山車の先導は囃子台車が務めます。

囃子台車は屋根付きの2階建てでフォークリフトが牽引します。囃子方は、1階に締め太鼓打ち6人、2階に大太鼓打ち4人・笛吹き1人・竹打ち2人で、赤の半纏を羽織り全員花筐(カキョウ)小学校の生徒です。締め太鼓は多数の鉄製ボルトとナットで締められた珍しいものです。

山車の前面には「地づき唄」などを歌う音頭取りが乗ります。音頭取りは、左側に狩衣(カリギヌ)・指貫袴(サシヌキバカマ)・烏帽子(エボシ)姿、中央に袖なし羽織・指貫袴・炮烙(ホウラク)頭巾姿、右側に水干(スイカン)・指貫袴・炮烙頭巾姿の3人が扇を持って歌います。3人とも藁沓をはいているのが珍しいです。

山車は50~60人が2本のロープで曳きます。山車を曳くとその年は病にかからないとの言い伝えがあるそうです。山車は5ヶ所の休憩所で温かいうどん・お菓子やジュース・お酒などの飲み物が振る舞われ、4時間かけて町内を巡行します。

最後に、神社に戻ると栗の木の枝に飾られた餅花を枝ごと皆さんに分けるそうですが、帰りのバスの都合で神社の直前で帰ることになり残念ながらその様子を見学することは出来ませんでした。

13日には神社で「蓬莱祭」が行われ、宮座組織「堂の講」の長老が務める「堂年寄り」に鏡餅と串の餅が配られるそうです。

<地づき唄>

イヤア ヨイトコ イヤイヤ

アラエンヤ エンヤ エンヤーノ ヤー

アラエンヤ エ・エ エンヤーノオ

ここは福井は 越の国

越前の里 粟田部の

花筐(ハナガタミ)の里 おおとべの

岡太神社の 祝い事

おおらいしさんと 申しますぞ

アラエンヤ エンヤ エンヤーノ ヤー  (以下省略)

 

祝詞奏上                               山車巡行

  

休憩所での振る舞い

 

  囃子台車                              締め太鼓打ち

 

休憩所での振る舞い                           山車巡行   

 

祭りの栞(トップ)

 

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