水海の田楽能舞(鵜甘神社)

【祭礼日】2月15日
【場 所】鵜甘(ウカン)神社(今立郡池田町水海52-24)

【日 程】7:00(朝戸開き)、12:00(禊=水海川)、13:00~16:40(田楽能舞奉納)、18:00(面納め)

水海(ミズウミ)は越前と美濃を結ぶ旧道の要衝の一つで、建長2年(1250年)、鎌倉冪府の前執権「最明寺(サイミョウジ)入道北条時頼」が諸国を巡りこの地に来た時、大雪のため足止めとなり一冬をこの地で過ごし、村人は田楽を舞って時頼を慰め、時頼はその好意に報いるため能舞を教え、これが「水海の田楽能舞」の始まりといわれています。

2月3日、舞人・囃子などの役割を決め、翌日から13日まで謡いと囃子を交えた練習が行われ、13日、拝殿で面を着けずに1回限りの通し稽古「場均し(バナラシ)」を行います。

奉納当日の朝7時、「朝戸開き(アサトビラキ)」で神殿から神面・諸道具を取り出し、12時、祝詞(ノット)・三番叟(サンバソウ)・高砂の舞人3人は、神社近くの水海川で下帯一つになり禊(水垢離)を行います。

午後1時頃から、神社拝殿で田楽と能が一続きで奉納されます。舞台は、間口6間・奥行5間の拝殿の中央に位置する板張りの間で、囃子方6人は神座に向かって右側に、謡方8人は左側と手前に座ります。神座のある正面の脇の化粧部屋が楽屋になっています。

囃子方は、笛2人・小鼓2人・大鼓1人・締め太鼓1人で、舞人は13人です。舞人のうち4人は池田第一小学校の5年生男児です。

【演 目】演目は、田楽が「烏とび」「祝詞」「あまじゃんごこ」「阿満(アマ)」の4曲、能が「式三番(シキサンバ)」「高砂」「田村」「呉服(クレハ)」「羅生門」の5曲です。式三番は、「千歳(センザイ)」「翁(オキナ)」「三番叟」の三つに分かれています。

田楽は古い猿楽系・田楽系の芸能で、能のうち、高砂・田村・呉服は「後シテ」だけが舞う半能です。祝詞と式三番の翁は宮司が舞うことになっています。

[烏とび] 大八洲の国造りを示し、舞台の区画を定めます。

濃紺の格衣(カクエ)上衣・紫紺(シコン)の袴姿に、濃紺の頭巾で顔を覆い烏帽子を被る烏役が、「イーヤーハー」の掛け声とともに、腰を前に深くかがめ片足跳びをしながら、手に持つ中啓(チュウケイ)(折りたたんだとき上端が半ば啓いている扇)を左右の肩に担ぐようにあてて舞台を一周します。

[祝 詞] 田楽能舞を奉納する意義を語り、五穀豊穣、息災延命等を祈願します。

鶴の絵を染めた狩衣(カリギヌ)姿に烏帽子を被り、八幡神とされる白色尉(ハクシキジョウ)の面を着け、右手に中啓、左手に「チリ」と呼ばれる四角の奉書紙を挟んだ長い竹の棒を持つ1人(宮司)が、小鼓の拍子に合わせ中啓でチリを叩きながら『最明寺殿の始正月の御祈祷に何をか仕らんと、各寄って僉議(センギ)し給ふ。何々と申し候へども、この御(ミ)田楽にすぎ、目出たきことのあるまじきと、寄って各評定(ヒョウジョウ)し給ふ』などと謡います。

[あまじゃんごこ] 国中の荒ぶる神々を鎮め、舞台を含むすべての世界を清めます。

狩衣姿に白・茶・黒の「しゃぐま」を被り顔を覆う男児3人が一列になって、腰を前に深くかがめ胸元で「ビンザサラ」を打ち鳴らしながら、締め太鼓の拍子で一歩ずつゆっくりと舞台を一周します。

[阿 満] 田作りを語り、悪魔払いをして豊作を祈ります。

朽葉(クチバ)色の格衣上衣・茄子紺(ナスコン)色の袴姿に烏帽子を被り、住吉面と呼ばれる黒の面を着け、前段では右手に中啓を左手にチリを持ち、『難は当地へは入らない。悪難を追い稲作をする。苦を免れ、富貴満福の喜びに田楽神楽を舞う』と田唄を謡い、後段では右手に鈴を左手に中啓を持って笛・締め太鼓・小鼓の囃子に合わせて舞います。

〔式三番] 最初に、朱色の狩衣姿に中啓を持つ男児が翁の露払役として舞います。次に、真朱(シンシュ)色の狩衣姿に「父尉(チチノジョウ)」の面を着ける翁(宮司)が舞います。次に、青竹色の素襖(スオウ)・長袴姿に剣先烏帽子を被る三番叟が、前段では素面に中啓を持ち、後段では黒の翁面を着け右手に中啓を左手に鈴を持って舞います。

〔高 砂〕 高砂は「阿蘇宮の神主友成(トモナリ)が旅の途中、播磨国高砂の浦で松の木陰を清める老夫婦に松の謂われを尋ねると、高砂の松と住吉の松とは相生の松で離れていても夫婦であり、老夫婦は、自分達こそ相生の松の精だと明かし姿を消す。友成が住吉に行くと住吉明神が現れ颯爽と舞い千秋万歳を祝う。」という物語です。

錦の狩衣姿に冠を被り白の面を着け中啓を持つ1人が、高砂の後シテ(住吉明神)が登場する場面を演じます。

〔田 村〕 田村は「東国の僧が都に上り清水寺を訪れ、庭掃きの童子に清水寺の来歴や近隣の名所を教えてもらう。日が暮れると童子は田村麿ゆかりの田村堂に入っていく。夜半、僧が法華経を読誦していると武者姿の田村麿の霊が現れ、鈴鹿山の朝敵を討ち果たした有様を見せて、これも観音の仏力によるものだと述べる。」という物語です。

金襴の格衣上衣の右肩を脱ぎ、烏帽子を被り白の面を着け腰に太刀を帯び中啓を手に持つ1人が、田村の後シテ(坂上田村麿の霊)が登場する場面を演じます。

〔呉 服〕 呉服は「中国の呉の国から織物の技術を伝えたと言われる二人の女性、呉服織(クレハドリ)・綾羽織(アヤハドリ)が、夜もすがら織物を織って帝にささげますから待っていてくださいと帝の臣下に言って姿を消す。やがて呉服織が神々しい姿で現れ、神舞を舞ってみせたあと帝に織物をささげ、御代のめでたさをたたえて姿を消す。」という物語です。

赤の狩衣姿に天冠を被り白の女面を着け中啓を持つ1人が、呉服の後シテ(呉服織の霊)が登場する場面を演じます。

〔羅生門〕 羅生門は「源頼光の館で、羅生門に鬼が出るという噂の真偽について、平井保昌(ヤスマサ)と渡辺綱(ワタナベノツナ)が激しく論争し、豪雨の中、羅生門へ実地検証に向かった渡辺綱の兜を鬼がつかみ取るが、渡辺綱は鬼の腕を斬り鬼は空に逃れ去る。」という物語です。

薄柿(ウスガキ)色の狩衣姿の渡辺綱が、前段では中啓を持ち後段では太刀を持って、青の大袖・金襴の裃姿に般若面を被る鬼と闘います。

 

烏とび                          祝 詞     

 

あまじゃんごこ                             阿 満   

 

     囃子方                              式三番(千歳)

 

   式三番(翁)                          式三番(三番叟)

 

式三番(三番叟)                            高 砂   

    

田 村                                 呉 服

 

羅生門

 

羅生門

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