馬駈神事(瀬門神社)

【祭礼日】10月第三日曜日
【場 所】瀬門神社(西尾市吉良町瀬戸字宮西1)

【日 程】14:00~15:00

瀬門(セモン)神社の創建は不明とされていますが、社伝によれば、「建久6年(1195年)、源頼朝が東大寺再建時に上洛する折、参詣し社殿を修理した。永禄4年(1561年)、松平元康(家康)が吉良氏居城の東条城を攻略するため出陣した際、戦勝を祈願した。」と伝えられています。

瀬門神社は、古来より駮馬(マダラメ)・寺嶋(テラジマ)・瀬戸の3村が共同で祀り、秋の例祭では「馬駈(ウマカケ)神事」が催されてきました。馬駈神事で使用される馬具のうち、鞍11具と鐙(アブミ)11双は室町~江戸時代のものとされ県の文化財に指定されています。

祭り当日、14時少し前になると駮馬・寺嶋・瀬戸の順で子供神輿が宮入りし境内を練ります。その後、拝殿で例祭神事が斎行され、神事が終わると直ちに、拝殿内に置かれていた一斗樽の中の御神酒が柄杓に汲まれ、この柄杓を持った若者数人が境内を走り回って見物人に御神酒を振り掛けます。樽内の御神酒がなくなると空の樽の奪い合いが始まります。

次に、子供神輿3基がそれぞれの地区に向けて神社を去ると、馬駈神事の「神馬」と「地下(ジゲ)馬」、各1頭が宮入りし、口上役が神馬・地下馬の騎人と口取り役(1頭につき2人)の名を読み上げ披露します。神馬の担当は駮馬地区、地下馬の担当は瀬戸地区でした。

口取り役に曳かれた神馬・地下馬は、拝殿前で裃姿に花笠を被る騎人を乗せ境内を周回した後、馬場に向かいます。馬場は神社から300mほど離れた福地ファーム吉良農場の裏側(南)にあり、両側を土手に挟まれた一直線の道で、距離は200mほどで行き止まりになっています。馬場入口には高原社の祠があります。

馬駈は、神馬・地下馬の順で交互に2回行います。1回目では馬と騎人は、馬場入口にある高原社の祠に拝礼してから馬駈します。馬駈は二人の口取り役が馬を曳き歩くもので勢いよく走ることはありません、行き止まりから引き返す際に少しだけ駆け足になる程度です。

地下馬の騎人は、2回目の往路で小型の弓で矢を放ちます。矢の先端には赤布で包まれた玉が付いています。鏑矢(カブラヤ)を模しているようです。復路では、騎人は馬の轡(クツワ)から伸びる赤い飾り布を両手で拡げたりします。

最後に、駮馬の法被を着ける熟練者が神馬に乗り、口取り役なしで本格的な馬駈を披露します。

 

子供神輿(駮馬)                                           子供神輿(寺嶋)

 

子供神輿(瀬戸)                                                例祭神事   

 

御神酒を柄杓に汲む                                         御神酒を振り掛ける

 

御神酒の樽を奪い合う

 

    神馬(駮馬)                                              地下馬(瀬戸)

 

       高原社の祠                                            高原社の祠に拝礼する

 

馬駈(神馬)

 

馬駈(地下馬)

 

馬駈(熟練者)

祭りの栞(トップ)

 

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