棉祖祭(天竹神社)

【祭礼日】10月第四日曜日
【場 所】天竹神社(西尾市天竹町池田53)

【日 程】14:00(式典)、15:00~15:40(綿打ち儀式)

天竹(テンジク)神社の「棉祖祭(メンソサイ)」は、日本に初めて棉を伝えた棉祖神・新波陀神(ニイハタガミ)を祀る祭礼です。

「日本後紀」・「類聚国史(ルイジュコクシ)」・「大日本史」などに、「延暦18年(799年)、参河国に崑崙人(コンロンジン)と称する1人の若者が乗った小舟が漂着した。小舟には棉の種が入った壺があった」などと記され、その種をこの地に最初に蒔いたことから、幡豆郡天竹村(現西尾市天竹町)が木綿の発祥地とされています。

崑崙人は、明治16年(1883年)、天竹神社に棉祖神・新波陀神として祀られるようになり、棉の種を入れた壺は今も天竹神社本殿に保管されているそうです。

木綿業関係者も参列して神社本殿で14時から1時間ほど神事が行われた後、境内で「綿打ちの儀」が行われます。「棉祖神天竹神社」の名が入った紫の半纏を着けた男女5人と白の狩衣(カリギヌ)姿に烏帽子を被った2人が、ブルーシートの上で「くり棉」・「棉打ち」・「糸紡ぎ」を同時並行して実演します。見学者も実演に参加できます。

収穫した実から種を取り除いた状態のものを「棉」といい、棉を打ちほぐした状態のものを「綿」といいます。本来の工程順に説明します。

最初に、くり棉をします。棉の実を「くり棉機」の上下2段のローラーの間に入れ、ローラーと連動するハンドルを回すと棉が潰され、種が手前に落ち、繰り出された棉がローラーの反対側に落ちます。

次に、棉打ちです。道具は、長さ2mほどの角棒の両端に大きさの異なる板を取り付けた「唐弓」とすりこぎ棒のような撥(バチ)に加えて、石臼の穴に挿し立てた長さ4~5mの青竹の先端から垂らされた紐を使います。唐弓はこの紐に縛り付けてあり上下左右に軽々と動かせます。

青竹のしなりを生かして唐弓を棉の塊りの中に入れて弓の弦に棉を巻き付かせます。引き上げた唐弓の弦を撥で振動させると、弦に巻き付いていた棉がフワフワにほぐれます。

最後に、糸紡ぎをします。ほぐれた綿の塊りを左手に持ち、綿の先端を直径50cmほどの糸車に取り付けて、右手で糸車のハンドルをゆっくり回すと撚(ヨ)りをかけた糸が糸車に巻かれます。糸が切れないようにするのが難しいようです。

崑崙人が小舟で漂着した故事にちなんで、昭和56年(1981年)に船神輿が作られ子供たちが曳き回していましたが、現在は曳き手がいないため社殿前に展示されているだけです。

 

船神輿(新波陀神丸)                         神事(祓所) 

 

          棉の実                        棉くり機で棉を種と棉に分ける

 

糸車で紡ぐ

 

唐弓で綿をほぐす

祭りの栞(トップ)

 

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