横須賀祭り(愛宕神社)

【祭礼日】9月第四土・日曜日
【場 所】愛宕神社(東海市横須賀町横須賀四ノ割23-1)

【日 程】土曜日[試楽]:山車曳き出し(各山車蔵から出発)9:15(本町組)、10:15(北町組)、10:40(公通組)、12:00(大門組)、14:20(山車4輌揃え・年少お囃子コンクール=横須賀公民館前)、日曜日[本楽]11:30~13:30(からくり人形の奉納:一番車~四番車=愛宕神社前)、12:00(昼の山車巡行:一番車~四番車=愛宕神社)、20:15(夜の山車巡行:一番車~四番車=愛宕神社)

東海市横須賀町は、江戸時代初期は馬走瀬(マハセ)と呼ばれる風光明媚な海辺の村でした。寛文6年(1666年)、尾張二代藩主徳川光友がこの地に別邸として「横須賀御殿」を造営したので、以後、地名も横須賀と改められました。

「横須賀祭り」は、徳川光友公のために行われたという「傘鉾祭り」が起源とされ、その後、寛政年間(1789~1801年)当時名古屋城下で行われていた山車祭りの様式を取り入れ現在に受け継がれているといわれます。

横須賀祭りの山車は、外輪式の二層構造を特徴とする「名古屋型」で、下層の「胴山」には囃子方が乗り、上層の「上山」にはからくり人形が乗っています。外輪の外側には、人が外輪に巻き込まれないようにする「輪懸」と呼ばれる木枠が設けられています。

山車の左後方には、祝儀寄付者の名前と金額を記した海老紙を青竹に付けた「祝儀笹」が何本も束ねて括り付けてあります。

山車の方向転換は、前楫(マエカジ)の4人が担ぎ棒を担ぎ上げ、後楫の4人が山車が流れないよう担ぎ棒を押さえて行います。この方向転換を「どんてん」と称し、見せ場の「大どんてん」では山車を2回転、3回転させます。

どんてんを演出する楫取8人は、弁慶格子柄の袢纏・股引姿に、豆絞りの鉢巻きをむこうしばりし黒足袋・草鞋を履いています。腰には化粧回しの色とりどりの反物を2~3枚重ねて巻き、余りは垂らしています。

横須賀祭りに参加する山車は、本町組・北町組・公通組(圓通車・八公車)・大門組の4組5輌で、このうち公通組には山車が2輌あるので隔年交代で1輌が出ます。今年は八公車です。

山車囃子は笛・鼓・締め太鼓を使用する能楽系の囃子で、どんてんのときには静かな「早笛」から始まり、山車を担ぎ上げてからは急テンポな「車切」、どんてんが終わり山車が動き出すと「早神楽」というように、山車の動きなどに合わせて曲を替えて囃します。

どんてんで山車が回転し始めると、山車の上山から紙の花吹雪が盛大に撒かれます。驚くほどの量でどんてん場の道路は紙吹雪で真っ白になります。

試楽では、山車は各組の蔵から曳き出され各々の町内を巡行し、その年の町内会役員・行司宅などの前でからくり人形を操演します。午後、横須賀公民館前に4輌が曳き揃えされたのち巡行し、どんてん場(同盟書林の横)でどんてんを披露します。

本楽では、神社前への山車の曳き揃え・神社での神事の後、7月下旬に行われた籤引きで決められた順番で、神社へのからくり人形操演を奉納します。奉納を終えた山車は、順次同じ経路で巡行しどんてん場(本町交差点・ファミリーマート前・同盟書林の横)でどんてんを披露します。

夜には提灯の灯をともした山車が、昼と同じ順番で15分間隔で神社から出発し、どんてん場(ファミリーマート前)で最後のどんてんを披露します。その後、山車はそれぞれの町内に帰ります。

 

   

からくり・山車(大門組)

 

山車(本町組)                  どんてん(本町組)   

 

 山車(北町組)                  どんてん(北町組)    

 

             山車(北町組)                からくり(公通組八公車)

 

山車(公通組八公車)              囃子方(公通組八公車)    

祭りの栞(トップ)

 

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