大海の放下(泉昌寺)

【祭礼日】8月14~15日
【場 所】泉昌寺(新城市大海字寺ノ前11)

【日 程】14日17:30~21:30(泉昌寺~滝神社~元堂~初盆宅~黒瀬)、8月15日18:00~21:30(泉昌寺~初盆宅~秋葉山~泉昌寺)

「大海(オオミ)の放下(ホウカ)」は盆供養の念仏踊りで、かつて使用されていた太鼓には寛政2年(1790年)から享和3年(1803年)の裏書があり、この頃には村の盆行事として定着していたといわれています。明治以降、二度の中断時期がありましたが、昭和25年(1950年)に再興されました。

かつては旧暦7月14~15日に行われていましたが、現在は新暦の8月14~15日となっています。今回は14日の放下を見学しました。(上記の日程は今年のもので、年により初盆宅の軒数・場所が異なるので順路等は変わるようです)

行事は曹洞宗の寺院である泉昌寺(センショウジ)を中心にして行われます。泉昌寺本堂入り口に祭壇が設けられ、本堂前の庭で奉仕者が衣装を整えた後、道中囃子を奏しながら切子灯籠・提灯・笛・鉦・団扇・ササラ・歌い手の順で列を組んで庭入りします。

切子燈籠は、白布を巻いた長さ1.8mの弓張と長さ90cmの横木を十文字に結わえ、この結束点から燈籠を吊り下げ、弓張の先端と横木の両端からそれぞれ白布を垂らしたものです。燈籠の四面には「南無阿弥陀仏」の文字が書かれています。

切子灯籠持ちは黒紋付羽織袴姿に胴深笠を被り、提灯持ち5人は黒紋付羽織袴姿です。

踊り手(団扇)3人は、袖まくり尻端折りした浴衣姿に紺の手甲・脛巾(ハバキ)を着け、胸に桶胴太鼓を付け背に団扇を負い、胴深笠を被り草鞋を履いています。

団扇は、高さ3m・幅1・2m・重さ6Kg ほどの大団扇で、踊り手3人は「前楽」「大拍子」「後楽」と呼ばれ、それぞれが背負う団扇には「枡」「鷹の羽」「かたばみ」の紋様が描かれています。桶胴太鼓は、直径・幅ともに50cm、重さ4Kgもあります。

踊り手(ササラ)は、踊り手(団扇)と同じ衣装で、折編み笠を被り背に雪柳(ヤナギ)を負い、手にササラを持っています。雪柳は、白の紙で飾られた長さ2mほどの16本の竹ヒゴを羽根状に束ねたものです。

笛吹き5~6人と歌い手5~6人は浴衣姿です。鉦打ちは、踊り手(団扇)と同じ衣装で手に鉦と撞木(シュモク)を持っています。

踊り手(団扇)は、団扇を垂直に立てて踊らなければならないので、腰を折り前かがみになって太鼓を打ちながら踊ります。踊り手(ササラ)は、踊り手(団扇)の後ろについて道化を演じます。

泉昌寺で30分ほど踊った後、庭入りと同じ順で列を組んで進み、滝神社と元堂でそれぞれ10分ほど踊り、田圃道を通って初盆宅へ向かいます。この頃には周囲は真っ暗になり提灯の灯りだけで進みます。初盆宅では、庭の隅に焚かれた迎え火と玄関脇の棚に置かれた小さな蛍光灯の明かりだけで20分ほど踊ります。

本堂前に掲示されていた今年の順路案内によれば、このあと黒瀬で10分ほど踊り、国道257号線大海信号近くで「おひねり踊り」などを1時間踊ることになっているのですが、帰りの電車の都合で最後まで見学せずに帰りました。

 

     祭壇(泉昌寺)                      衣装を整える(泉昌寺)

 

庭入り(泉昌寺)

 

念仏踊り(泉昌寺)

 

   滝神社へ向かう                         念仏踊り(滝神社)

    

初盆宅へ向かう

 

念仏踊り(初盆宅)

祭りの栞(トップ)

 

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