津島天王祭・朝祭(津島神社)

【祭礼日】7月第四土・日曜日
【場 所】津島神社(津島市神明町1)

【日 程】朝祭の15日前(斎竹立=各町の境)、朝祭の4日前未明(神葭刈神事)、8:00(船分け=御旅所)、朝祭の2日前20:00(稚児打廻し=神社)、土曜日[宵祭]10:00(神輿渡御=神社~御旅所)、19:00(如意点火・提灯点火=天王川公園)、20:45(出船=天王川公園)、日曜日[朝祭]1:00(大御饌調進祭=神社)、5:00(市江車の屋台起こし=天王川公園)、9:00(出船=天王川公園)、10:30(神輿還御=御旅所~神社)、朝祭の翌日1:00(神葭流し神事)、朝祭の2日後(神葭着岸祭)

かつて、尾張・伊勢との連絡は「津島の渡し」が使われ、鎌倉・室町・江戸初期までは河港として大いに栄えていましたが、天正年間(1573~1593年)頃から川が浅くなったために下流にある「佐屋の渡し」にその座を譲りました。現在は池になっている天王川公園も、かつては木曽川に注ぐ天王川であり交通の要所でした。

津島神社は天王川公園の北にあり、全国に約3,000社ある津島神社・天王社の総本社です。中世・近世を通じて「津島牛頭(ゴズ)天王社」(津島天王社)と称し、牛頭天王を祭神としています。牛頭天王は須佐之男命(スササノノミコト)の化身とされています。

津島神社の「津島天王祭」は500年以上続く伝統行事で、宵祭の「まきわら船」・朝祭の「車楽(ダンジリ)船」が有名ですが、祭りは朝祭から数えて15日前の「斎竹立(イミダケタテ)」から始まり、朝祭から75日後の「神葭(ミヨシ)納め神事」までの90日間に亘り行われます。

このうち、神葭と御幣に穢れを付して流す「神葭流し神事」とこれに伴う「神葭刈神事」「神葭着岸祭」などの行事は、神職のみの秘行事とされ見学は不可となっています。

昨年、宵祭のまきわら船行事と朝祭の車楽船行事を見学したのですが、パソコンに取り込んだ写真を消失したため、今年改めて朝祭の車楽船行事を見学しました。

宵祭のまきわら船行事は、1区画が数万円もする桟敷席からでなければまともな写真は撮れないことが昨年分かったので、今年は宵祭のまきわら船行事の見学は早々に諦めました。朝祭は、前夜の宵祭よりも観客がはるかに少なく、桟敷席などどこでも自由に出入りできるので好みの場所で見学できます。

宵祭のまきわら船行事・朝祭の車楽船行事とも、主行事は天王川公園で行われます。朝祭当日の早朝8時、天王川公園に向かって歩いていると稚児と供人の一団に会いました。

亜麻(アマ)色の半纏・白のズボン姿に白の鉢巻を締め地下足袋を履き警護竹を持つ2人・花籠と羯鼓(カッコ)を持つ1人・供人の肩車に乗る稚児・稚児と裃姿の供人にそれぞれ赤と青の傘を差し掛ける2人・裃姿の男児7~8人などです。

稚児は4~5才の男児で、赤の直垂(ヒタタレ)・紫の袴姿に花烏帽子を被り長さ50cmほどの「こうはし」(太鼓の撥)を両手に持ち肩に掛けています。

車楽船は、旧津島五ヶ村(筏場(イカダバ)・今市場(イマイチバ)・下構(シモガマエ)・堤下(トウゲ)・米の座(コメノザ))から各1隻が出されるので、そのうちのいずれかの「車屋」(車楽船を車と呼び、一村を一つの車屋と呼びます)と思われます。車楽船はこの他に、特別な役割を務める旧市江(イチエ)村から1隻出されます。

天王川公園の中に「丸池」と呼ばれる池があり、この池に隣接して船の行き来ができる「車河戸(クルマコウド)」と呼ばれる船溜まりがあります。

前夜のまきわら船から車楽船に装いを変えた旧津島五ヶ村の車楽船5隻と、旧市江村の「市江車」が船溜まりに浮かんでいます。市江車は、昨夜のまきわら船行事には参加せず、今朝5時から屋台起こしして車楽船の装いを整えます。

まきわら船は、2隻の船を繋ぎその上に3層の屋台をのせ、下段は車屋、中段は稚児と囃子方、高欄には一年の日数365個の提灯を椀を伏せた形に飾り、その中心に13.6mの真柱を立て一年の月数の12個の提灯を下げ、さらに屋台の中段には、絹灯籠(紅絹を張った細長い提灯)を48個下げたものです。

車楽船は、まきわら船のすべての提灯を取り外し、緋羅紗に金糸で縫い取りした屋台幕・小袖幕・紅白の梅花で飾り、高欄に等身大の能人形2体を飾っています。

9時、市江車を先頭にして6隻の車楽船が、囃子方の奏する「津島囃子」とともに車河戸から丸池に出てきます。市江車の前部には白の「布鉾(ヌノホコ)」を持つ下帯姿の10人が立っています。

船が丸池の「中之島」辺りにまで漕ぎ進むと、布鉾持ちが一人ずつ舳先に立ち、直径20cmほどの大型の木の柄杓で背中から水を掛けられた後、布鉾を両肩におき勢いよく池の中へ飛び込みます。

池に飛び込んだ10人は、小舟に乗る見守り役に付き添われ布鉾を手に持ちながら懸命に泳ぎ反対岸(北側)に着くと、岸辺の御旅所に安置された神輿に拝礼し神社まで走ります。

一番鉾と二番鉾は社務所へ行き、三鉾鉾は神社の石橋に張られた注連縄を切って進み拝殿前に布鉾を奉納し、以下の布鉾持ちも拝殿前に進み布鉾を並べます。三番鉾の綱切りがあって初めて御旅所の神輿が還御できるのだそうです。

一方、車楽船も御旅所側の岸辺に着くと、それぞれ車屋ごとに行列を組んで御旅所に向かいます。

御旅所に安置された神輿前で神事が行われた後、紺の直垂姿に烏帽子を被り錫杖を持つ2人と猿田彦を先頭にして、楽人の奏する笙(ショウ)・篳篥(ヒチキリ)・龍笛(リュウテキ)などの音とともに御旅所から神社への神輿還御が始まります。各車屋の一行も行列の後尾に加わります。

神輿が還御すると、拝殿で稚児による「神前奏楽」と「稚児盃事」が行われます。最初に市江車の稚児、次に津島5車の稚児5人まとめて行われます。その後、各車屋の一行は行列を組んでそれぞれの村に向かいます。

 

車河戸へ向かう稚児                         車河戸の車楽船 

 

 丸池の市江車                           布鉾を持つ裸男

 

布鉾を肩におき飛び込む                     拝殿に向かう布鉾持ち

 

車楽船を降りて御旅所へ向かう稚児                神輿還御の先導と猿田彦   

 

       神輿還御                         神輿還御に同行する稚児

 

稚児による神前奏楽                           稚児盃事   

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