笹踊り(八所神社)

【祭礼日】3月最終日曜日
【場 所】八所神社(豊橋市大村町横走155)

【日 程】9:00~12:00(笹踊り=金山神社・光道神社・柴屋神社・踊り子の家3軒・境内社今八王子神社・白山神社)、13:00(笹踊り=八所神社境内・御霊神社)、14:30(神事=八所神社)、15:00(獅子舞=八所神社)、15:30(渡御出発)、16:00(神事・稚児舞・浦安の舞・笹踊り・獅子舞=御旅所)、17:30(還御出発=御旅所)

八所(ヤトコロ)神社は,大宝元年(701年)年に大村神社として創建されましたが、天文8年(1539年)大津波により流失し、天文20年(1551年)八王子社として再興され、明治17年(18884年)八所神社と改称され、旧大村郷4か村(沖木・住吉・柴屋・大磯)の産土神(ウブスナガミ)として尊崇されてきました。

東三河の笹踊りは、江戸時代の将軍職が交代した際、その慶賀のために朝鮮から派遣された「朝鮮通信使」の影響を受けた踊りともいわれており、東三河地方の19ヶ所で舞われています。地区により違いはありますが、唐子衣装に笠を被った3人が胸に付けた太鼓を打ちながら踊る、という点では共通しています。

八所神社の笹踊りは、祭礼日の午前中に旧大村郷の4地区にある境外社3社(金山神社・光道神社・柴屋神社)と踊り子の家3軒で踊りを奉納した後、八所神社に戻り境内社2社(今八王子神社・白山神社)で一踊りし昼休み休憩します。

午後から八所神社境内と境内社御霊神社前で休憩を挟みながら1時間ほど笹踊りを奉納します。今回はここから見学しました。踊り子3人は旧大村郷の4地区から選ばれています。

踊り子3人は、金襴の上衣・赤の裁着袴(タッツケバカマ)姿に黒の脚絆を着け、顔半分は赤の布で隠し、胸に大太鼓・小太鼓を付け白足袋・草鞋を履き、黒の陣笠を被っています。陣笠の頂には巻いた仁王襷(ニオウタスキ)が飾られ、胸の太鼓も仁王襷で首から吊るしています。

踊り子は、片手・片足を交互に高く上げ跳びはねるようにして踊り、小太鼓の2人が背中合わせに片膝立ちになる間を大太鼓の1人が飛び越したりします。

この後、拝殿で神事が行われ神事が終わると、拝殿から獅子が飛び出してきます。

獅子頭は木彫りの茶色で漆塗りなどの化粧はなく、髪は白茶、額に角が1本あります。長さ5~6mの青地の胴幕に10人余が入り獅子頭は胴幕の外にいる2人が持っています。獅子の舞手は青の裃姿に白足袋を履き、胴幕に入る人は袴を尻端折りしています。

獅子は境内で暴れ回り、飴を撒き散らしながら見物人や笹踊りの踊り子を長い胴幕の中に巻き込んだりします。

しばらくすると、切幣(キリヌサ)撒き・警護2人・榊持ち2人・四神旗・舞姫10人・楽人10数人・神職・神輿・笹踊りなどが行列を組んで御旅所に向かいます。

神輿は白丁(ハクチョウ)姿に烏帽子を被る12人が担ぎ、笹踊りの3人は神輿の後ろで踊りながら進みます。獅子は行列に加わらず境内で暴れ回った後、御旅所に向かいます。

御旅所では、楽人が笙(ショウ)・篳篥(ヒチリキ)・龍笛(リュウテキ)などで奏する中、神事が行われます。引き続いて、白の千早(チハヤ)・緋袴姿に天冠を被る舞姫が、別の楽人の奏する笛・太鼓の囃子に合わせて「稚児舞」「浦安の舞」を奉納します。その後笹踊りと獅子舞が奉納されます。

御旅所での行事が終わると、再び行列を組んで八所神社に向かいます。

 

笹踊り(神社境内)

 

 笹踊り(御霊神社前)                      獅子舞(神社境内)

 

     獅子舞(神社境内)                    獅子舞(見物人を巻き込む)

 

渡御行列                               神 輿

 

  稚児舞(御旅所)                        浦安の舞(御旅所)

    

笹踊り(御旅所)                         獅子舞(御旅所)

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