乙川祭り(乙川八幡社)

【祭礼日】3月20日に近い土・日曜日
【場 所】乙川八幡社(半田市乙川殿(オツカワトノ)町97)

【日 程】土曜日[試楽]9:00(曳き込み=八幡社参道)、9:30(例大祭式典=八幡社)、10:00(坂上げ)、10:30(三番叟・からくり人形=八幡社)、13:20(坂下し)、16:20(四山整列=若宮社)、18:30(曳き出し=若宮社)20:00(曳き別れ=元薬師前)

日曜日〔本楽〕7:30(四山整列=若宮社)、10:00(例大祭式典=若宮社)、11:00(曳き出し=若宮社)、12:00(曳き揃え=元薬師前)、13:40(曳き込み=八幡社参道)、14:10(坂上げ)、14:40(三番叟・からくり人形=八幡社)、16:20(坂下し)、16:40(海神祈祷)、17:00(曳き別れ)

「乙川(オッカワ)祭り」は、神輿に乗った神様が乙川八幡社から御旅所の若宮社にお渡りし、翌日八幡社にお還りする祭りで、このとき山車が随行し神輿を護り警固します。

当日配布された「乙川祭礼保存会」の資料によれば、乙川祭りで曳かれる山車の起源は、江戸時代初期の慶長15年(1610年)から始められた名古屋城の石垣普請に際して、乙川村浅井川(現在の稗田川)の川床から掘り出された大石を台車に乗せて名古屋まで運んだのが始まりといわれています。

山車は、浅井山(宮本車)・殿街道山(源氏車)・南山(八幡車)・西山(神楽車)の4輌で、いずれも山車の高さ6m、重さ6トンの大型です。台輪(ダイワ)4輪の二層構造で前山と上山があり、前山で三番叟を、上山でからくり人形を演じます。

見所は八幡社参道での「坂上げ」・「坂下し」と八幡社境内での「からくり人形」です。今回は日曜日の本楽を見学しました。

10時過ぎ若宮社に着くと、社殿奥に安置された神輿の前で例大祭式典が行われています。昨夜、それぞれの地区の鞘(山車蔵)に納められた四山の山車は、今日早朝、若宮社境内に勢ぞろいしています。並び順は、社殿側から西山(神楽車)・南山(八幡車)・殿街道山(源氏車)・浅井山(宮本車)の順です。

社殿での式典の間も、四山の山車は順番に、それぞれの山車の後方で大太鼓1・締め太鼓1・笛数人が囃子を奏します。

式典が終わると、錫杖(シャクジョウ)・塩振り・榊・神籬(カムロギ)台・剣鉾・楽人(ガクジン)・神輿・舞姫などの順で列を組んで、八幡社へのお還り(還御)が始まります。塩振り・神籬台運び・楽人(雅楽演奏)を務めるのは江戸時代から西山との関係が深い「飯森(イイモリ)社中」です。神籬は、榊の枝に紙垂(シデ)と人形(ヒトガタ)に切り抜いた白の紙を多数つけたものです。

還御行列が若宮社を出ると、浅井山(宮本車)・殿街道山(源氏車)・南山(八幡車)・西山(神楽車)の順で山車が曳き出され神輿に随行します。山車の巡行順は、この順番で固定されているそうです。

山車は「カンバン」と呼ばれる法被を着けた「山子」が引き綱で曳き、後梶で梶を切り進行方向を変えます。山車の出発と停止の合図をするのは赤い法被(赤ハッピ)を着け手に拍子木と采配を持つ「若衆行司」です。「中老行司」も赤ハッピを着けています。

山車の行列はゆっくりと進み、屋台が立ち並ぶ八幡社の参道に差し掛かると坂上げが始まります。引き綱の山子は懸命に山車を曳き、山車の後部は後梶に肩を入れる者、山車本体や梶を押す者、山車の上に立つ者など30~40人が密集しています。

山車の高欄後部左側(後ろから見て)には御幣が掲げられており、御幣がある側の後梶の先端を最後まで守った者を「一番楫」として称え、これを争う様子から乙川祭りは「けんか祭り」といわれています。実際には、胴山後部に立つことを争っているように見え、胴山に昇ろうとする者、これを蹴落とそうとする者などが入り乱れて、山車の後部で凄まじいけんかが繰り広げられます。

四山による坂上げが30分ほど続き四山が境内に整列すると、二日間の大役をほぼ終えた若者がそれぞれ車座になって座り、一升瓶のお酒をラッパ飲みするなど盛大に宴会をします。

しばらくすると山車の上で三番叟とからくり人形が奉納されます。浅井山(宮本車)の前山で三番叟、同じ浅井山の上山でからくり人形「小烏丸夢之助太刀(コガラスマルユメノスケダチ)」、南山(八幡車)の上山でからくり人形「役小角大峯桜(エンノオヅヌオオミネサクラ)」が演じられます。

三番叟はからくり人形ではなく、黒装束の3人が頭と胴、両手、両足をそれぞれ持ち後ろで操作します。

小烏丸夢之助太刀は、木を這って登る大蛇が寝ている平忠盛に襲いかかると、平氏の宝刀「小烏丸」が鞘から抜け出て大蛇を切り倒します。次に現れた黒装束の八咫烏(ヤタガラス)が瞬時に錦の狩衣(カリギヌ)姿に変身し扇を持って舞い、最後に金色の扇に変化します。江戸中期の宝暦5年(1755年)の絵巻「乙川村祭礼山車絵図」に描かれている絵図を参考にして昨年復元し、新調した衣装で今年初めて披露されるのだそうです。

役小角大峯桜は、役小角と鉞(マサカリ)を持つ赤鬼が登場し、役小角が高さの異なる乱杭(ラングイ)を渡り桜の枝に移り、その枝にぶら下がったまま桜吹雪とともに山車の外に去ります。役小角が去ると同時に赤鬼が瞬時に青鬼に変身し鉞を持って舞います。この演目も前記の「乙川村祭礼山車絵図」を参考にして平成19年(2007年)に復元したのだそうです。

からくり人形操演が終わると、浅井山(宮本車)・殿街道山(源氏車)・南山(八幡車)・西山(神楽車)の順で山車が曳き出され、八幡社の参道を下ります。「坂下し」は危険が伴うので山車は慎重に進みます。

このまま山車は曳き別れてそれぞれの鞘(山車蔵)に納まるのかと思いきや、八幡社の南東200mほどの五差路で「海神祈祷」が始まります。浅井山(宮本車)だけが祈祷所の後ろに控え、浅井山の山子全員と赤ハッピを着けた四山の若衆行司・中老行司が海神祈祷に参列します。境内に鞘がある殿街道山(源氏車)は境内に留まり、南山(八幡車)・西山(神楽車)は祈祷所近くで待機します。

神職が海の方向に向かって祭文を奏上し、祭壇脇に清めの塩と御神酒を撒きます。海神祈祷が終わると、四山は動き出し曳き別れとなります。

 

例大祭式典(若宮社)                                             楽 人          

 

山車(左から宮本・源氏・八幡・神楽)                         囃子方(西山神楽車)             

 

還御行列(塩振り・榊持ち)                                     還御行列(神籬)       

 

 還御行列(神輿)                                           還御行列(舞姫)

 

山車曳き出し(南山八幡車)                              山車梶取り(西山神楽車)

 

坂上げ(浅井山宮本車)

 

赤ハッピ(殿街道山源氏車)                              坂上げ(殿街道山源氏車)

 

坂上げ(南山八幡車)

 

    若者の酒宴(八幡社)                                    三番叟(浅井山宮本車)

 

小烏丸夢之助太刀(浅井山宮本車)

 

小烏丸夢之助太刀(浅井山宮本車)

 

役小角大峯桜(南山八幡車)

 

坂下し(浅井山宮本車)                                            海神祈祷         

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