【祭礼日】3月第一日曜日
【場 所】中田大国霊神社(豊田市中田町神池2 中田八幡社内)
【日 程】12:15(芯男挨拶=中田区民会館)、13:00(記念写真撮影・お祓い=中田区民会館)、13:20(大鏡餅出発)、13:30(神竹・裸男出発)、14:30(式典=中田大国霊神社)
中田裸祭りは「儺追(ナオイ)神事」で、褌姿の厄男が芯男(シンオトコ)に厄を託して払い落す祭りです。
昭和7年(1932年)、旧中田(ナカダ)村の氏神である中田八幡社を改築する際に、本殿内に「尾張大国霊(オワリオオクタマ)神社」の御霊が安置されているのが見つかり、昭和9年(1934年)中田八幡社境内に社殿を新築し「中田大国霊神社」と命名し、尾張大国霊神社から分社として認定され、翌年から本社の「国府宮(コウノミヤ)裸祭り」に倣い「中田裸祭り」を始めたと伝えられています。
祭礼日は当初は、国府宮裸祭りが行われる旧暦1月13日の10日後の旧暦1月23日とされてきましたが、現在は3月第一日曜日になっています。
11時半頃、会場の中田区民会館に着くと、紅白の布で綾模様に巻かれた竹と白の布に巻かれた竹、各1本が横に置かれています。竹は長さ10mほどの孟宗竹(モウソウチク)で、先端には葉が付いています。
紅白の布に巻かれた竹は「神竹(シンチク)」と呼ばれ、紅白の布の下には願い事と氏名が書かれた儺追布が巻かれているのだそうです。白の布に巻かれた竹は、裸祭りの余興として神社に向かう途中にある田んぼの中で行われる「竹登り」に使われるものです。竹登りでは、穴に挿し込んだ竹に裸男1人が登り竹を揺すって折るのだそうです。
神竹と竹登り用竹の隣には、紅白の布で綾模様に巻かれた担ぎ棒が付いた宝恵駕籠(ホエカゴ)があり、駕籠の中には大鏡餅一重ねが乗せてあります。
祭りは、中田区民会館での「芯男(シンオトコ)挨拶」に始まり、褌姿の裸男たちが会館前のグラウンドで記念写真撮影の後、神職によるお祓いを受けます。新型コロナウイルス禍前までは、毎年100人以上の裸男が参加していたようですが、今年はわずか30人ほどでカメラマンの数の方が多いくらいです。
裸男が締める鉢巻の色は厄の種類により異なります。前厄は青、本厄は赤、後厄は黄で、地元の中田は白鉢巻で首に厄の種類を表わす鉢巻を巻くことになっていますが、今年は青の鉢巻を締める人は見かけませんでした。
お祓いの後、白の布に巻かれた竹登り用竹には赤の布が綾模様に重ねて巻かれ、神竹と同じ見かけになります。今年は裸男の参加人数が少ないためか竹登りは行われませんでした。
その後、大鏡餅が本厄と後厄の9人により、1Kmほど離れた中田大国霊神社に向けて担ぎ出されます。
残った裸男たちは2組に分かれて、神竹と竹登り用竹をそれぞれ担いでワッショイ、ワッショイの声を掛けながら会館前のグラウンドを3~4周します。青紫の法被を着ける奉賛会員の笛の合図で、竹を担ぐ1人が両手で腰まで竹に上がると、他の担ぎ手が一斉に竹を頭上に差し上げます。余興のようですが、これを1周ごとに2回繰り返します。
その後、裸男は2本の竹を担いで掛け声を発し左右に練りながら神社に向かいます。この時にも笛の合図で1~2人が竹に上がり、担ぎ手が竹を差し上げることを何回も行います。竹の列の後ろには青・赤・黄・白の幟を立て、お酒やつまみを乗せたリヤカーが随行しています。
中田八幡社前の赤い鳥居に着くと、一同気を揃えて竹を担いで突進し宮入りします。その後、鳥居まで戻りグループに分かれて、それぞれ3~4人が本厄を担いで宮入りします。
境内ではリヤカーに乗せてあるお酒やつまみが裸男たちに振る舞われ、しばし休憩します。その後、裸男たちは芯男を中心にして輪を組んで左回り、右回りを繰り返しもみ合いをし、芯男の体に触り芯男に厄を託します。
八幡社の左奥にある中田大国霊神社前に神職・氏子総代などが2列に並ぶと、芯男を頭上に差し上げた裸男の群が入り、芯男を社前右に降ろしそのまま神事に参列します。
神事参列者などのお祓い・宮司による厄払いの祝詞奏上・玉串奉奠が終わると、芯男が白の長着を羽織り、予め掘られた穴の上に立ちます。芯男が羽織る長着と首筋の間に、裸男1人が鏡餅を差し入れると鏡餅は神男の背から穴に落ちます。穴には直ちに土が被せ盛られ、その上に幣束が立てられます。
すると裸男の1人が「厄が落ちたぞう!」と叫びます。これを聞いた裸男たち・神事参列者はバンザイを三唱・拍手し裸祭りは終わります。
大鏡餅 大鏡餅を神社へ運ぶ
神竹を担いで練る(中田区民会館前)
神竹を担いで神社に向かう
神竹の宮入り 厄男の宮入り
御酒やつまみを乗せたリヤカー お酒やつまみを振る舞う
中田大国霊神社 裸男がもみ合う(八幡社境内)
裸男に水を掛ける 芯男を担いで中田大国霊神社に向かう
祝詞奏上(中田大国霊神社) 厄が落ちたぞう!と叫ぶ