【祭礼日】1月7日(旧暦)
【場 所】菟足神社(豊川市小坂井町宮脇2-1)
【日 程】18:00~19:00
菟足(ウタリ)神社は、天武天皇御代の白鳳15年(686年)に創建され、延喜式神名帳にその名が記される古社です。
菟足神社の「田祭り」は、稲作の過程を模擬的に演じて稲の豊作を願う田遊びで、よく古態を残しているとして県の無形民俗文化財に指定されています。
田祭りの祭礼当日、拝殿の右奥には4本の斎竹と注連縄に囲まれた雪の三階松の「蓬莱山飾り」が立てられ、三階松の下には「牛の舌餅」が置かれます。拝殿右手前には、菟足神社の神紋を象徴する巨大な兎の造り物が置いてあります。
時間になると、提灯を持つ先導・宮司・「作(サク)大将」(禰宜)・「孕み女」・「作男」(氏子総代など)7人が参進し本殿前で一拝した後、宮司は蓬莱山飾りの前に着座します。宮司は祭りが終わるまで蓬莱山飾りの前から動きません。
作大将は格衣(カクエ)姿に烏帽子を被り、先端に「オサギ」と呼ばれる奉書紙を挟んだ柳の枝を捧げ持っています。作男は羽織袴姿です。孕み女は顔化粧し女装した男性で、着物姿に赤の蹴出しを見せ手拭いを姉さん被りしています。
最初に、作大将が神前に進み神意をうけて戻り田祭り始めの旨を作男らに告げます。次に、作大将・作男が拝殿から太鼓・荒菰・鍬などを運び、拝殿前に荒菰を敷き、その上に太鼓を置きます。
太鼓の上には、「田地(デンジ)餅」と呼ばれる直径30cmほどの木製の餅を置き、これを田と見立てその上に鍬に見立てた柳の枝で作った長さ70cmほどの棒7本を置きます。
作大将は太鼓の前に立ち、作男と孕み女は太鼓の後ろに横一列に立ち、一同揃って祝詞を奏上します。
【演 目】1.田打ち、2.籾まき、3.苗代の鳥追い、4.苗代の草取り、5.馬の代(シロ)かき、6.代ならし、7.苗を打つ、8.昼食持(ヒルマモチ)、9.田の草取り、10.稲の鳥追い、11.稲刈り、12.稲数え、13.稲ぶら
作大将は、毎回神前に進み神意をうけて作男に告げ行事を進めます。また田祭りでは、お腹を空かせた子雀役の子供たちが面白い動きを見せてくれます。
太鼓を囲んで稲作の所作をする田男の間に顔を突き出し、演目が終わると田地餅を奪い境内の外まで逃げ、これを作男が追いかけ田地餅を取り返すと次の演目が始まります。田地餅を奪おうとする子供の数は回を追うごとに増えます。
1.田打ち 作男7人が太鼓を囲んで、鍬と見立てる柳の棒で田地餅を打ちながら「大明神の御田を千町万町打ひらいて、いでいで見しょうよ」と三度唱えます。
2.籾まき 作大将が三方(サンボウ)に載せた籾(柳の皮を10cmほどに細切りしたもの)を作男に分け、作男は「ぱらりぱらりぱらり」と三度唱えながら、籾を四方に撒きます。
3.苗代の鳥追い 作男が太鼓を囲んで柳の棒で田地餅を打ちながら「すくひ喰うは小鳥、ひろひ喰うは小鳥、畦をもつはけえらむし、中をもつはどん亀よ」と三度唱えます。
5.馬の代かき 作大将に先導された作男3人が、馬の轡(クツワ)を頭上に持ち上げて拝殿から進み出て、「大明神の御種おろし、銭蔵金蔵三はね跳ねてはねからかせ」と三度唱えながら太鼓を一周します。馬の轡は、柳の棒の両端に円盤形の餅2個を挿したものです。
8.昼食持 作大将に先導された孕み女が、 両端に瓢箪とヘギ(弁当箱)を付けた榊の棒を担いで拝殿から進み出て、弁当として小餅を作男に1個ずつ手渡しします。その後、孕み女は、担ぎ棒を持ち上げて瓢箪で観客の頭を撫でようとし、また観客は瓢箪に触ろうとします。瓢箪に触ると夏病みしないとされています。
10.稲の鳥追い 作大将が荒菰の上で木桶を左手に持って、「是より東はゑぞか島を界として、おれをだいにもこだいにも手すりばこも、よくなるものとちや楽しかろ」と唱えて、木桶の底を二度叩きます。次に、それぞれ向きを変えて「是より西は淡路島を界として」「是より南は南海ふだらく泥が海を界として」「是より北は鬼が島を界として」と唱え、その都度木桶の底を二度叩きます。
11.稲刈り 作大将が三方に載せた小餅を作男に1個ずつ手渡しし、作男はこれを袂に入れ、鎌に見立てた柳の棒で「さらりさらりさらり」と三度唱えながら稲を刈る所作をします。
田祭りの行事が終わると、子供たちに牛の舌餅などが入った菓子袋が配られます。
蓬莱山飾り(左) 一同祝詞
田打ち 田地餅を奪う子供
籾まき 苗代の鳥追い
馬の代かき 苗をうつ
昼食持 稲の鳥追い
稲かり 牛の舌餅が入った菓子袋