国府宮のはだか祭り(儺追神事)

【祭礼日】1月13日(旧暦)
【場 所】尾張大国霊神社(稲沢市国府宮町1-1-1)

【日 程】15:00~17:30(儺追笹の奉納・儺追神事)

国府宮(コウノミヤ)と呼ばれる尾張大国霊神社のはだか祭りは、正式には「儺追(ナオイ)神事」といい、神護景雲元年(767年)称徳天皇が全国の国分寺に悪疫退散を祈る勅命を発したとき、尾張国司が尾張総社である尾張大国霊神社で厄払いをしたのが始まりといわれています。現在のように裸男が揉み合うようになったのは江戸時代の末頃からといいます。

祭礼当日の国府宮は、早朝から厄除けの御祈祷を受ける人や御守りの「なおいぎれ(儺追布)」などを受ける人で賑わいます。また国府宮の周りでは下帯に白足袋の42才と25才の厄年の裸男数千人が、それぞれ「なおい笹(儺追笹)」を担ぎ掛け声を発し国府宮に向かっています。

裸男は尾張一円から集まり、裸男が担ぐなおい笹には裸になれない老若男女が身代わりとして氏名や年齢などを書いて願いを込めた「なおい布(儺追布)」が結び付けられています。

裸男の行列を撮りながら境内に入ると、境内はすでに観客で溢れようやくの思いで板囲いの最前列に出ることができました。幟や榊の枝を持った先触れとともになおい笹を担ぐ一行が続々と入ってきて拝殿になおい笹を奉納します。役目を終えた裸男が頭の襷を外して観客に手渡ししたりします。

全てのなおい笹が奉納され、手桶を頭上に奉げた20~30人の手桶隊が境内に入ってきたのでこれから本番が始まるのかと思っていたら、その後ろから藁束を括り付けたなおい笹を「厄除」と描いた鉢巻をした裸男たちが担いできて拝殿に奉納します。

これでなおい笹の奉納が終わったようで、先ほどの手桶隊が裸男をめがけて一斉に水をかけます。やがて全身無垢の神男(シンオトコ)が入ってきたのか楼門辺りが騒がしくなり少しずつ拝殿に近づいてきます。

拝殿では神職が、真清田神社・大縣神社・熱田神宮・尾張大國霊神社の四柱の神名を奉書に書いた秘符が中ほどに付けられた3mほどの大榊を持って立ち儺追行事を見守ります。この大榊は御鉄鉾(オテッショウ)と呼ばれる神籬(ヒモロギ)で、臨時に神様を迎えるための依代(ヨリシロ)なのだそうです。

儺負人(ナオイニン)の神男に触れることで厄から逃れようと激しく揉み合う裸男たちに水がかけられその度に湯煙りが上がります。神男の姿は全く見えません。50分ほど後、神男が警護役に儺追殿へ引きずり込まれたのか境内が静かになりました。

儺追行事終了後、儺追殿に置かれている大鏡餅を見に行きました。大鏡餅は50俵の餅米を蒸し搗いて作られ、高さ235cm、直径240cm、重量4トンあるそうです。

明治時代初期の頃は5~6俵の餅米で作っていましたが段々と大きくなり、現在では楼門を通り儺追殿にお供え出来る最大限の大きさになっています。大鏡餅の奉納は尾張一円の各地区が順番に奉仕しており今年は稲沢市の平和町でした。

大鏡餅は明日8時から儺追殿で切り分けられ一般の方に授与頒布されます。この餅を食べると夏病みをしないといわれています。

 

なおい笹を奉げて神社に向かう

 

なおい笹を奉げて拝殿に駆け込む

 

なおい笹を奉げて拝殿に駆け込む                  裸男からなおい布を頂く    

 

     手桶隊                                 最後のなおい笹

 

御鉄鉾を持つ神職                            裸男に水を掛ける

 

裸男に水を掛ける                               大鏡餅


    

祭りの栞(トップ)

 

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